2011年1月31日月曜日

教派の意味

時々ふらっと普段の時に教会を訪れる方がいる。
そんな方は教派と言う業界用語は用いないが、キリスト教会の中に様々なグループがあることをうっすら意識していて、当教会の教派的背景を知らないことを申し訳なさそうに会話を始められることがある。
日本の場合そんな質問の中で一番多いのは「新教(プロテスタント)」と「旧教(カトリック)」の違いについて、と言う印象である。
プロテスタント諸派について幾分かでも知識をお持ちの方は少ない。

筆者の勝手な「ざっくりとした教派の歴史」を紹介しておこう。

現在多くの教派が存在するが、宗教改革時のプロテスタント諸派は国民教会(ルーテル、改革派、聖公会)とアナバプティスト、あるいは国民教会圏の自由教会運動と言う二つの流れに大別できると思う。
自由教会、ピューリタンの流れから、その後移民して北米大陸やその他の地域に設立した信仰共同体の時代が続く。
いわゆる教派(デノミネーション)教会はこの後の発展系として位置づけられるのではないだろうか。
時代から言うと一番発展したのは19世紀から20世紀、リヴァイヴァル運動や世界宣教運動とも関連していると思う。
どちらにしても「教派」とは、プロテスタント宗教改革後の自由教会運動の延長線上にある、と言えるのではないか。

当教会は「日本聖泉基督教会連合」に所属するが、立場として「ウェスレアン・アルミニアン」を規約に掲げる。基本的には単立教会の連合であり、連合の仕方はバプテストの理念を踏襲している背景がある。

数年前、バプテスト教会連合の理事長を講師に招いて「連合」のあり方や問題についての研修会をしたことがあった。

日本聖泉基督教会連合は前身となる「インマヌエル綜合伝道団」の監督政体の行き過ぎにプロテストして離脱した教会を中心に設立された。だからもともと教団的な統率に対してはアレルギー体質を持っている。
ただ個々の教会においては牧師の監督政体を踏襲してはいたが・・・。

さてその研修会で面白い発見があった。
バプテスト教会と言えば独立心の強いはずのグループだと思っていたのだが、理事長の話では、教団のリソース(指示や援助)に依存する傾向が若い世代の牧師に結構あるのだそうだ。
それに反してもともと監督政体の聖泉は今では個々の教会が独自路線を歩む傾向が強い。
バプテスト連合はより中央集権というか中央依存的になり、聖泉連合の方は独立志向が強くなっている、と言う現状なのである。
お互いのグループのもともとの特徴が交代した形で「今」の姿に現れている、と言う印象を持った。

さて「教派」と言うのは主に自らの教理的特徴を根拠に「教派形成」、つまり自教派の教会増殖をしているのではないかと思うが、最近ふと考えてみると、聖泉連合などはそれほど自己の教派的特徴(ウェスレアン・アルミニアン主義)には拘泥していない風がある。
昔は「聖別会」が連合レベルでも各個教会レベルでも持たれていたが、今では殆んど聞かなくなった。
今や「ホーリネス」を大看板にしている教会は少ない。それよりも個々の教会のニーズや現状に合わせて教会形成がなされているようである。
聖泉連合はもともと教団色を持たないから自然の成り行きと言えばそれまでだが、教理的な意味での「教派的特徴」はかなり後退している。

周りを見ても同様な傾向は強いのではないか。
昔ほど教理的伝統に対する執着がなくなり、教会成長的なプラグマティックな傾向が強くなっているのではないか。

筆者の印象では教理的な視点からの「教派形成」、いわゆるデノミネーショナリズムはだんだん過去のものになっているような気がする。
20世紀以降何が各教会の指標にになってきたかと言うと、それは「福音派対自由主義派」であったり「聖書論」であった。
しかしそれを取り巻く神学的文脈もまた変わりつつある。

だから現在でも「教派」として自己増殖するような目標の掲げ方はその存在理由をどこに求めるかと言うことで、神学的・教理的なのか、それとももっとプラグマティックなものなのか、自問自答してみる必要があるのではないか。

2011年1月29日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

1月30日 午前10時30分

説教箇所 ローマへの手紙 10:5-17
説 教 題 「宣べ伝える」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※礼拝後、教会総会。

2011年1月28日金曜日

教会員

定時教会総会を目前に控え、現在総会資料などを整えています。

総会を構成するのは「教会規約」によって定められた『会員』です。
当教会には三つの『会員』の範疇があり、総会に関わるのはこのうちの二つです。

どこの教会も同様の問題を抱えていると思いますが、洗礼を受けて会員として入会式をした方が、いつの間にか教会から遠のいてしまう、消えてしまうことがあります。

そこで「除籍」と言うことが出てきます。
一律に規準を設けてそれに従って除籍する教会もあれば、個々のケースを見ながら匙加減でやっている教会もあると思います。

時に「幽霊会員」と呼ばれるこのような会員の数が増えると、そして会員数全体に占める割合が多くなると、総会成立に支障をきたす場合も出てきます。
当教会の場合はまだそこまで事態は進展していませんが、「教会員」の問題を考えさせてくれる機会の一つが総会と言えるでしょう。

スコット・マクナイトのJESUS CREEDブログの最近のポストでChurch Membership Requirementsと言うのがありました。
日本の教会のようにせいぜい数十名程度の会員の場合は余り問題にならないでしょうが、北米のようにただ教会の礼拝に出席するだけでよしとするような方々が多い教会では、そもそも「会員となる」と言うことに対する自覚が低い場合があります。

スコットは「会員」となることは必要だ、との観点から、ではキリストの弟子として「教会員に求められるものは何か」と問題提起をしています。

この問題は信仰上の観点と、組織運営上の観点と、そして二つの観点が絡み合って微妙な実際問題を孕んできます。

最も難しい問題は「献金」、特に「十一献金」のような伝統を持っている教会でしょう。
建前から言えば、献金は神に捧げるものです。
しかし実際は組織運営費であり、その大半は人件費です。

最近のカルト独裁牧師・教会問題の多くはこの献金問題が絡んでいます。
①献金を強制する。(時に脅しとも取れるような宗教的言い回しを使用して。)
②会計管理がずさん。(予算管理をしない。金銭出納簿がつけられていない。多額の使途不明金が出てきてしまう。など)
③牧師が独断で土地・動産・備品購入に多額の出費をする。

別にカルト化した教会ではなくても、きちんとした会計報告がない教会は結構あるかもしれません。
信徒は「牧師を信用しているので」会計内容に一々口を挟まない、細かく調べようとしない、と言う風潮が伴っているケースも多いでしょう。

使徒の働きには教会が自由意志で財産を共有していたことを記しています。
中には大口の献金をする信者もいたでしょう。
しかしそのような美しい教会運営の中に、アナニヤとサッピラのような偽善が現れました。

教会は霊的な共同体ですが、お金や財産と言う実際問題を扱わねばなりません。
信仰的にも、実際的にも、きちんとした管理・運営が出来るよう、キリストの教会が模範を示して行きたいものです。

2011年1月26日水曜日

説教についてあれこれ

牧師の仕事と言えばプロテスタントの場合は説教が中心、と言ってもいいかもしれない。

牧師になって、説教をするようになって、既に20年が経つわけだが、まだベテランの域にも達していない段階で何をか言わんや、である。でも説教について現在どう思っているか書いてみよう。

説教のスタイルは人それぞれである。
神学校の説教学では「3ポイント」の論理的展開型がモデルであったが、実際に説教するようになってそのような模範的な説教は殆んどしたことがない。

確かに3ポイント位にまとめると記憶のためにも、話の展開を追うためにも利があると思うが。

筆者が「守っている」のは時間制限。30分以内が目標である。最近はほぼ守られていると思う。

人によっては説教の原稿を作り、それを読み上げるタイプの説教をしている方もいるかもしれない。筆者も若い頃は、会衆を前にして原稿のようなものがないと不安になることもあったが、原稿を書くまではやらないで来た。

と言っても、説教要旨・アウトラインのようなものはその日の週報に書いてある。場合によってはそれを読み上げるような時もあれば、会衆が読んだことを前提で話を進める場合もある。最近では後者の場合の方が断然多い。

若い頃は一回説教終えると、解放感と言うか安堵感で胸が一杯になったものである。「あーこれでしばらく説教から解放される・・・」と言う風に。
やはり一種のプレッシャーなのである。人前に立ってある時間しゃべると言うことは・・・。

説教は一つのパブリックスピーチであり、コミュニケーションであるから、一方的にしゃべってはいても聞く側の反応を見ながら間を取ったりアクセントをつけたり、などと言う工夫が必要になるのだが、筆者の場合そこまで気にしてやってこなかったように思う。
自分が考えて用意したことを表に出すだけで精一杯の時の方が殆んどのような気がする。
この辺はまだまだ進化しなくてはならない。

説教をするようになってある時ふと気が付いて驚いた表現がある。それは説教を「取り次ぐ」と言うこと。何に驚いたのかと言うと、そのニュアンスにあるシャーマン的な可能性のことである。
一番平易に取れば「取り次ぐ」は伝言するくらいの意であろう。しかし誰のことばを伝言するかというと、これが「神のことば」と言うことになる。

通常は書かれた聖書を解釈して語る、と言う意味で用いているのだが、場合によっては聞く側の方に(語る側の方でも)「神様から私への直接の語りかけ」を期待するようなニュアンスがあるのではなかろうか。
まっ、口寄せや霊媒とは次元が違うとしても、何かしらただの人間に過ぎない一牧師の語る言葉が神様からのパーソナルなメッセージとして聞きたいと言う願望が時にあるのではなかろうか。
勿論時として結果的に「このメッセージは自分に直接語られたように思います」などと言う後日談は聞くことがあるが。

いや筆者の場合はそのようなことを聞いたことは殆んどないが。
むしろ説教をどのように聴いていただいたのか、その手応えが殆んど分からないことが多い。
反応を示してくださる方はいないわけではないが、大抵それは「先生の話は難しい」と言う評が多い。

あれこれ思いつくままに書いてきたが、目下の目標は「説教をするだけの牧師」から、「説教家」らしい方に少しずつ進化して行くことではないかと思っている。

2011年1月24日月曜日

進化論的キリスト教

本ポストの標題はEvolutionary Christianityの訳です。
まだ余り日本語ウェッブサイト上では見当たりませんが、この視点を宣教師的熱心でアッピールしているマイケル・ダウド(Michael Dowd)師が主に使っている表現で、まだ一般的用語ではないようです。

筆者は進化論に関しては大した関心のないまま来てしまいましたが、本ブログ「人気投稿」トップの座を依然としてキープしている「有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明」に対する反応を見て、改めて『進化論』に対する認識の重要性に思い至りました。

上記ポストでは「進化論」の問題は「科学と信仰」あるいは「科学と宗教」と呼ばれる討論分野の一アイテム、と言う位置づけでしたが、北米では「進化論」受容の是非を軸に「カルチャー・ウォー(文化対立)」と呼ばれるほど論争がヒートアップしていることを再認識するに至りました。

北米キリスト教の聖書主義的キリスト教の文化的背景では、「創造の時間的古さの問題(字義通りの六日間創造解釈、ヤング・アース説、オールド・アース説、など)」「人類創造(アダムとエバの史実性)の問題」が福音派内でも保守派と穏健派で争点になっています。

ところがマイケル・ダウド師の提唱する「進化論的キリスト教」は生物学的な進化論だけでなく、宇宙の進化、生命の進化、生物の進化、文化・社会の進化まで網羅する「包括的な進化論」の視点からキリスト教を再解釈する問題提起となっています。

昨年末ダウド師は、キリスト教の様々な立場に立つ識者、ノーベル賞受賞者を含む科学者、「科学と宗教」の専門的研究者など38人とネットを介してインタヴューを敢行しそれをネット上で公開しています。
Science-rejecting creationism and faith-rejecting atheism are not the only games in town. Tens of millions in the middle, represented by the amazing diversity of thought leaders participating in this teleseries, see no conflict between faith and reason, heart and head, Jesus and Darwin. For us, religious faith and spiritual practice can be strengthened and deepened by what God/Reality is revealing through science.
とあるように、「進化論を、つまり科学を否定する保守的キリスト教」と「科学を敵視する時代遅れの宗教と見る無神論者」の極端な「文化対立」の構図に見えるけれども、実際にはその間に挟まれた大多数は「科学と信仰」を両立するものと見ているのだ、と捉え、この中間層に位置する識者たちがどのように「科学と宗教」を調和、対話、補完させているのかをインタヴューを通して示そうと言う企画のようです。

と、ここまではダウド師がいかにも「科学と信仰」を調停し、どちらの分野にも独自の存在理由があるかのように思わせますが、インタヴューを幾つか聞いてみると、表面上はそのような会話をしているように見せながら、ここかしこにダウド師独特の理解と言い回し(deep-eye, Reality, evidential knowledge, natural, etc.)を使って、自説をインタヴュー相手に試している、あわよくば同意を得ようとしている、・・・風に聞こえます。

筆者は現在北米保守派の論客第一人者の一人アルバート・モラー師とは大分見方が異なりますが、モラー師のダウド評Thank God for the New Atheists?には一定の同意を覚えます。

ダウド師は心から自説を信じているようで、進化論を受け入れてキリスト教を根底から現在の科学的認識に調和させることがキリスト教にとって良いことであり、聖書やそれに基づいた教義などと言う古い時代的制約下で成立した神話は捨て去るべきだ、と主張しています。

まあ、聞いた範囲の感想なのですが、ダウド師は非常に標準的なアメリカ人、ストレートに物を考え、決まった言い回しを繰り返し繰り返し用いながら、さらに自説への自信を深めていく、無邪気さを兼ね備えている感じです。


それ程自分が達して保持している世界観の素晴らしさに酔っているような雰囲気を持っています。

インタヴューではマナーも良く、相手と自分の考え方の違いも認める率直さも持っています。
ただ「素直で無邪気な頑固さ」と言うか、平均的アメリカ人にアッピールする伝染力を持っている感じです。

不思議なのはバイオ・ロゴスのカール・ギバーソン(副理事長)やジョン・ポルキングホーンなどもインタヴューに応じていることです。
筆者の目から見ると、これほど歴史的キリスト教とはかけ離れた考え方の持ち主と実のある対話を出来ると考えての応諾だったのか・・・その辺が良く分からないところです。

まっ誰とでも対話できることはそれなりに市民社会の成立にとって相応しいことなのかもしれませんが。ただこれがダウド師の信憑性を高める広告塔の役回りをやらされた・・・なんてことにならなければいいのですが。

と言うわけで、結論から言うと38人へのインタヴューはそれなりに興味深いし得る所はあると思います。ただダウド師によるキリスト教のラディカルな再解釈には要注意です。
キリスト教の表現を自説に合うようにつまみ食いし、「キリスト教を原理的に規定する使徒的福音」への配慮は殆んど持ち合わせていないようです。
ダウド師にとってキリスト教の啓示は、「ナザレのイエスにおいて神が成就された終末的救いの出来事」ではなく、太古の昔から延々と繰り広げられ現在も進化している「宇宙全体のリアリティー」そのものであり、彼自身が言うように「全く現在的な啓示」と言うことになるようです。それがどれほど歴史的・正統的キリスト教と乖離した内容となっても、あくまで「現在的(科学的)啓示」が優先する、と言うことのようです。

筆者はもっと慎重で真面目な進化論との対話を促進する神学者、教会人の意見を参考にしたいと思います。その基準から言うとダウド師は表現は良くないですが「包括的進化論の心酔者、道化みたいな宣教師」に見えます。

※果たしてダウド師の奉ずる「進化論的キリスト教」は日本に渡来するでしょうか。もし渡来したとしたら一定のアッピールはすることでしょう。

2011年1月22日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

1月23日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 3:1-29
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 3:23
説 教 題 「この信仰が啓示されるようになるまで」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(52)
ガラテヤ人への手紙(40)
・3:23-29 一つの信仰、一つの民

※次週、礼拝後、教会総会。

2011年1月21日金曜日

先生の横顔(5)

話が前後しているが、自分が通う教会も決まり、何か非常に落ち着いた感じがした。
又今までの留学地ではどこもキャンパス内か、キャンパス付近の教会に、ただ日曜礼拝に出席するだけであったのが、イーストベイ・フリーメソジスト教会ではまさに教会コミュニティーと言う感じであった。

それまで知らなかった日系人社会、特に20世紀の初め頃(より正確には1920年代くらいだろうか)、移民政策でたくさんの人がアメリカに一旗上げようとやって来た歴史を本ではなく、教会に通うおじいさんやおばあさんの話から聞くことができた。(彼らは一世と呼ばれる。)
農夫やガーデナ(園芸士)など苦労して仕事を得、家族を支え子供には良い教育を与え・・・と、ひとかたならぬ苦労があったことが窺い知れた。

戦争中は自宅財産を没収され、ユタやアリゾナの砂漠にある強制収容所に入れられ、と言う格別の苦節をも通った。(その時の話は余り聞くことは出来なかったけれど・・・。)

と言うわけでバークリーの7年間は勉学よりも日系コミュニティーとの接点の方が濃かった。
ヨタヨタしながら、のろのろペースで総合試験にパスし、博士論文内容申請のための指導教官を依頼し、申請書を書き上げるまでにほぼ5~6年かかっていた。

博士論文の内容は論文コミッティーの一人バークリー校の社会学教授で日本でも知名度の高いロバート・N・ベラー教授の『市民宗教』の概念を用い、アメリカ市民宗教と日本市民宗教を歴史的に比較する、と言うものだった。
日本型市民宗教のモデルに選んだのは明治期の天皇制。

論文申請(テーゼとアウトライン及び簡単な内容説明)を書き上げるまでに時間を食い、パスだけしたところで時間切れ、と自分の方からギブアップしてしまった。
中には時間を置いて論文を書き上げる人もいることはいるが、自分にはとてもそんな気力もないと潔くあきらめてしまった。
まあー簡単に言えば「挫折」です。
その日はさすがに泣いた。

こうしてケンタッキーを振り出しに始まった筆者の米国遊学はついに終幕を迎えることになったわけである。実質11年半の滞在期間は人から見れば無駄な贅沢なものだろう。自嘲気味に「遊学」と呼ばざるを得ない理由でもある。
それでも「挫折」と共に色んなことも吸収した青年時代、と言うことにしておこう。

※あれだけ長い間米国に滞在したのに、帰国後は一度も行っていない。バークリー時代の知人とは度々訪日した時に顔を合わせる機会があったのだが、自分から行こうと言う気持ちがなかなか芽生えてこない。
そんな訳だから、お世話になったイーストベイ・フリーメソジスト教会の梅北牧師始め、一世の方々が次々と召天される報を聞き淋しい限りである。
GTUでお世話になった、M・J教授も、J・C教授も現在は違う学校で教鞭を取っておられる。

2011年1月19日水曜日

先生の横顔(4)

博士課程の選択にあたって、要素として考えていたことはアカデミックなことではなく、何らかの形で教会奉仕の機会があるような環境だった。
自然とカリフォルニア州の学校に目が行った。何しろ日系教会の数は多い。

その中で「社会倫理・宗教社会学」のコンセントレーションがあるGTU (Graduate Theological Union)を選んだ。場所はあのバークリーである。
GTUはその名の通り9つの神学校の連合であり、PhDプログラムの場合はカリフォルニア大学バークリー校との連携によって、総合大学のアカデミック・プログラムで補強している。

さて学校が決まったところで早速バークリーにある日系教会の牧師に「教会で奉仕をしながら勉学したいのだが」と照会の手紙を書いた。
快諾の返事が来て、教会員の家に泊まれるよう紹介してくれた。

その方は何と当時既に90近いおばあさんで一人暮らしだった。
後から分かったのだが、このおばあさんはこの教会の重鎮と言うか、教会の生き字引と言うか、とにかく柱のような方だった。

牧師になる勉強をしている青年という事で、住まいが見つかるまで快く自宅を開放してくれた。
数日間暮らしていたら、何か騒々しくなってきた。
このおばあさんが血圧など健康問題を抱えていて、それを心配している70ぐらいのおばあさんが、家を紹介して泊めてくれるように手配した牧師にすごい剣幕で抗議に来た、と言うのである。

と言うわけで一週間くらいだったか泊めてくれたおばあさんの家を去り、一先ずバークリー市内のウィークリー・ホテルのような宿泊所にステイしながらアパートを探すことになった。

さて学校の方に話を戻すと、筆者の指導教官、M・J教授はいかにもカリフォルニアと言う感じの眼鏡をかけた細身のカジュアルな感じの方だった。
比較宗教倫理学を専門にしていて、特にインド地域の宗教研究、「宗教と暴力」のような研究を専門としていた。

その後のことを考えると後悔するのだが、この教授は愛想はいいが常に忙しく、なかなか落ち着いて指導をしてくれる、と言う方ではなかった。

その代わりと言っては何だが、宗教社会学関係の講座を教えていたJ・C教授は壁にぶち当たった時親身になって相談に乗って励ましたくれた。

実は博士課程の二年目でこの先続けて行く自信を失いかけていた時だったのである。

結局その後一年間休学することになったのだが、この時のJ・C教授の励ましがなかったなら途中でやめていたかもしれない。

学校の方は、そう言うわけで、順風満帆とは行かなかったが、教会での奉仕は充実していた。
最初にお世話になった教会はそんな経緯もあり、別の教会をバークリー周辺で探していた。

幾つかの教会を礼拝毎に訪ねていたわけだが、後にお世話になることになったイーストベイ・フリーメソジスト教会の礼拝に出たその週、たまたまその時欠席していた二人の青年が筆者のアパートまで訪ねて来た。
要するに「まだ教会が決まってないのなら、ぜひうちの教会にどうぞ」と言う勧誘のような雰囲気であった。

彼らは話してみると、年齢も同じ、話していくうちに「じゃここにお世話になろうか」と決めた。
彼ら、青年会の名前は「むぎほ会」。「むぎ」はバークリーから取っていた。

(※次回に続く)

2011年1月17日月曜日

キリスト教世界観ネットワーク

キリスト教世界観ネットワーク(略称CWN)は毎年一回、通常2月最終土曜日午後、ミーティングを持っています。

筆者がこのネットワークに参加し始めたのは2006年度からだったでしょうか。それ以来毎年参加していますが、今回は「講演者」として出席します。

講演内容は最近のブログ記事と大分重複しますが、N. T. ライトの紹介が中心となる予定です。
以下CWNウェッブサイト掲載された講演内容CWN2011年の集い「キリスト教信仰、歴史の原点に戻って見直す」です。
「私たちの信仰は主イエス・キリストに基礎を置いて います。しかし私たちが理解している主イエス・キリストは一世紀パレスチナの「ナザレのイエス」に基礎を置いているでしょうか。私たちの主イエス・キリス トは、しばしば「歴史のイエス」から遊離した「信仰のキリスト」になってはいないでしょうか。
 現代最も著名な新約聖書学者、N. T. ラ イトは大衆福音派に根付いている「非歴史的・主観的キリスト教信仰」の見直しを迫る研究を発表されている方です。ライトの一世紀ユダヤ教研究に根ざしたイ エス研究、パウロ研究は、私たちが既に知っていると思っている十字架の死と復活の意義を改めて考え直す機会を与えてくれるでしょう。」
ちょうどあるキリスト教雑誌でも執筆依頼され書いている内容とも重複します。こちらは今週木曜日が締め切り。ほぼ書き終えて少し編集の手を加えているところ。タイトルは「自伝的『新約聖書学』最近研究状況レポート、N. T. ライトを中心に」です。

論文と言うより自伝的エッセイ風文章です。
今はもう余り論文のようなものは書けませんね。そこまで「詰める」気力がないと言うか・・・。
気楽に書かせてもらう感じです。

先日の「のらくら者の日記」ブログ記事に、マグラスだけでなく、ライトの訳本刊行したらどうか、きっと当たるよ・・・みたいなことを書いていましたが、そうなるといいですね。
特に「キリスト教起源と『神』問題」シリーズを手がけて欲しい。

2011年1月15日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

1月16日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 3:1-29
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 3:23
説 教 題 「信仰が現れる以前」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(51)
ガラテヤ人への手紙(39)
・3:23-29 一つの信仰、一つの民

※礼拝後、役員会があります。

2011年1月14日金曜日

イエスの信実と私たちの信仰

最近二回続けて「福音派大衆伝道における福音提示の問題性」のようなことを書いてみた。

福音提示において「十字架贖罪」一辺倒になって、「復活」の意義が統合された形で提示されない、と言うのが一点。
契約の民、イスラエルの歴史とストーリーのクライマックスとしての「十字架と復活の出来事」を捨象してしまうことで「十字架贖罪」が非歴史化され、抽象化される、と言うのがもう一点。

これらの問題と絡んでいるのが、信ずる側の「私たちの信仰」の役割に関する理解である。

筆者の育った「キリスト教」において、「回心」とは、個人が「いついつどこどこでイエス・キリストを信じた」と言うことに力点が置かれ、「お証し」と言うと、その個人が信じた時点で「救われた」と言う理解になる。
「救いのドラマ」はあくまでも「自分史」を中心に展開し、イエス・キリストの十字架と復活と言う客観的な歴史は背景に追いやられてしまう印象であった。
お証しする者は、“救われた時”の喜びや高揚感と言った主観的な体験を綴る傾向があり、救いの基礎となる「イエス・キリストにおける客観的救いのわざ」についての認識は幼稚なままで過ぎてしまいやすい。
斯く言う筆者もそのような一人だった。

そのような福音理解に疑問を抱くようになり、その後、言わぱ「第二の(知的)回心」に至った。
今はそのような視点から過去の自分の信仰、福音理解を反省しているわけである。

しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただ《ピステオウス・イエイスウ・クリストゥー》によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。(新改訳)

けれども、人は律法の実行ではなく、ただ《ピステオウス・イエイスウ・クリストゥー》によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。(新共同訳)

上記に引用したのは、ガラテヤ人への手紙2章16節である。この《ピステオウス・イエイスウ・クリストゥー》を両訳とも「キリスト・イエスを信じる信仰」「イエス・キリストへの信仰」とギリシャ語ジェニティブを目的格に訳している。
これは私たち人間が信仰の主体で、イエス・キリストがその対象と言う理解の上に立つ。

しかしギリシャ語のジェニティブは主格にも訳される。むしろ用法的にはその方が自然である。にもかかわらず伝統的に目的格の解釈が取られてきたわけである。

最近(時間の長さとしてはリチャード・ヘイズの著作を起点に取れば30年となるが)、主格説が有力になってきている。N.T.ライトもその一人であるが。

主格に取ればどういう意味になるか。
イエス・キリストご自身の信実が先ずあり、その基盤の上に私たちの信仰がある、と言う構図に変換する。

少し膨らまして言えば、神の御心に従われ、十字架の死にまで従順に従われたイエスご自身の信実が、神の義(ロマ書主題)を成就された。私たち人間の信仰はこの「信実」を信ずることによって義とされるわけである。

目的格は、自分が信ずると言う行為が救いをもたらすようなニュアンスがある。
主格は、客観的キリストの信実が先ずあり、私たちの信仰はそれに従う、と言うニュアンスになる。

ライトは以下のようにまとめている。
'The faithfulness of the Messiah', in the sense described in the previous chapter - his faithfulness to the long, single purposes of God for Israel - is the instrument, the ultimate agency, by which 'justification' takes place. The Messiah's faithful death, in other words, redefines the people of God, which just happens to be exactly what Paul says more fully in verses 19-20 (always a good sign). And the way in which people appropriate that justification, that redefinition of God's people, is now 'by faith', by coming to believe in Jesus as Messiah. The achievement of Jesus as the crucified Messiah is the basis of this redefinition. The faith of the individual is what marks out those who now belong to him, to the Messiah-redefined family. (Justification: God's Plan and Paul's Vision, p.97) 
ほんの一フレーズの訳が信仰理解の根本に関わると言う原典釈義の重要さを示す好例である。
(※筆者は原典釈義は出来ない。あくまでも参考書からの入れ知恵であることを断っておく。)

2011年1月12日水曜日

イランのクリスチャンのために

以前「イラン・コネクション」でも少し紹介しましたが、困難な中でイラン宣教は進展しています。

しかし昨年クリスマスから福音的キリスト者の逮捕や拘束がエスカレートしているようです。

詳しくは「イラン・コネクション」で紹介した、ウェッブサイトELAMの"70 Christians Arrested"
のレポートや、Voice of America のニュース記事をご覧ください。

福音的クリスチャンによる働きで、イスラムからキリスト教に回心する者が増えているのが背景にあるようです。
当然イスラム国家において権力によるこのような強圧的な威嚇は予想されることですが、主の守りとイランの教会が権力の威圧に屈しないよう勇気が与えられるよう、お祈りください。

2011年1月11日火曜日

神の国の福音

先日「神のことば」と題したポストにコメントと質問を頂いた。

「神のことば」ポストは、現代福音派の大衆的福音理解に疑問を投げかける一方、使徒的福音はどういうものであったかを素描したものだが、その中には「神の国」と言う表現が含まれていない、と言う指摘を頂いた。では使徒的福音は「神の国の福音」が前提されているのか、繋がりがあるのか、と言うご質問である。

以下、「神のことば」ポストと文脈をなるべく合わせながら、「神の国」の福音とはどう繋がるかを説明してみたい。

「神の国の福音」はマルコの福音書によれば、バプテスマのヨハネが、そしてイエスが宣べ伝えた福音です。「二つの福音?」でも指摘したように彼らの預言者的警告と福音は 「イスラエルに向かっての福音」と言う民族的、時限的性格を持っています。

この「神の国の福音」はイエス・キリストの十字架と復活の出来事において集約した形で成就しました。だからイースター後の使徒たちは「神の国の福音」を「イエス・キリストの福音」として宣べ伝えたわけです。

問題は、現代福音派の大衆的福音理解における十字架贖罪一辺倒の提示の仕方です。
キリスト教は「十字架で死んだ自称メシア」を教祖としては発生し得なかった、と言うことがこのような福音提示では抜け落ちてしまいます。
当時のユダヤ人にとってメシア運動指導者が十字架刑に貼り付けになって死んだら、最早運動はそこで一巻の終わりです。そんなメシアはメシアでなかった証拠のようなものだからです。

ではなぜキリスト教は発生し得たのか。イエスが死者の中から復活した事実と、弟子たちがその事実をもとに(復活したイエスに導かれて)聖書に従ってそれまでの自分たちの「イスラエル物語」を再解釈したからです。(ルカ24章)。

「神の国」はバプテスマのヨハネが、ナザレのイエスが造語した単なるスローガンではありません。「神の国」は終末を指し示す表現です。
それは、旧約聖書の預言者たちが、「ヤハウェが王となってイスラエルの繁栄を回復される時、つまり終末に起こるであろう事柄」を要約する表現です。

表現上「神の国」に最も近いものとして、イザヤ52:7や40:9-10を挙げることができるでしょう。
良い知らせを伝える者の足は
山々の上にあって、何と美しいことよ。
平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
救いを告げ知らせ、
あなたの神が王となる。」と
シオンに言う者の足は。

シオンに良い知らせを伝える者よ。
高い山に登れ。
エルサレムに良い知らせを伝える者よ。
力の限り声をあげよ。
声をあげよ。恐れるな。
ユダの町々に言え。
「見よ。あなたがたの神を。」
見よ。神である主は力を持って来られ
その御腕で統べ治める
もちろん当時のユダヤ人にとって「神の国」の実現のシナリオは一定ではありませんでした。又現状維持を望む少数派(サドカイ派など)などは「神の国」運動が盛り上がるのに対して政治的に敏感になっていました。
しかし殆んどのユダヤ人たちはメシヤ王によるローマからの武力的解放を期待していたようです。

イエスの「神の国」運動はイスラエルに悔い改めを迫ると言う意味でバプテスマのヨハネを踏襲していましたが、病人の癒しや悪霊の追い出しなど、「既に神の国は来ている」面を示していました。

何はともあれ、「神の国」と言う「終末に起こるであろうと預言されていたイスラエルの復興」に関するストーリーラインは幾つもの解釈を可能にするものでした。
しかし、殆んどのユダヤ人たちはこの「神の国」のストーリーラインに沿ってメシアを期待し、イスラエルの復興を期待していたことには変わりありません。

問題は、エルサレム入城まで期待通りに進んでいたと思われた、彼らの、そして弟子たちの神の国ストーリーラインは、イエスの十字架刑によって破綻した、かに見えた、と言うことなのです。

そう言う訳でユダヤ人にとっては躓き、ギリシャ人にとっては愚かとしか映らない「十字架に架けられたイエス」こそ、神が聖書に証しされた通りに、「敵の手に渡されて苦難を受けた後、よみがえって神の右の座に挙げられた『人の子・メシア』なのだ」、と使徒たちは「神の国」ストーリーラインの再解釈を福音として提示したのです。

筆者は、現代福音派の大衆的福音理解における「十字架贖罪」は、十字架と言う出来事の歴史的なパラドックスを、意図的にではないにしても、予定調和的、救済的論理で覆い隠してしまう、変換してしまう危険がある、と指摘したかったのです。

2011年1月8日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

1月9日 午前10時30分

説教箇所 詩篇 16:6
説 教 題 「すばらしいゆずりの地」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※礼拝後、昼食会。新年の抱負など各自のお証しの分かち合いをします。

2011年1月7日金曜日

バルト父子

先日「新年の祈り」に登場した「ブルームハルト父子」
・・・ほど有名ではないが、あの20世紀最高の神学者の一人、カール・バルトにもちゃんとした新約聖書学者の息子がいるのです。
マーカス・バルト

筆者は情けない話だがカール・バルトには触手が伸びない。あの教会教義学と言う大著がエベレストのように見えて最初から登る気が起きない。
彼の著作は僅かに「新約聖書における国家」と言ったタイトルの小論を読んだだけである。

しかし、マーカス・バルトの方はと言うと、これが偉大なる父の陰に隠れて余り人々の口に上らないが、読んでみると非常にいいのである。

どういいのかは一言で言えないが、ライトを結構読んでから彼の書いたもの、例えば「イスラエルと教会」「義認」を読むと、「へえー、何だもうこんなことを彼は30年前に言っていたんだ」と言う箇所がいくつも見つかる。

マーカス・バルトは時代の先を行っていた印象がある。

さて、「のらくら者の日記」によると「更にN.T.ライト博士」で、何と日本人のブログ上で「ライト」のことが議論されている、と言うではないか。
小海キリスト教会の水草牧師、よく存じ上げないが、山崎師、そして最近のコメントの追加には、えんどうさん、とライトの義認論について討論が繰り広げられている。
どうやら筆者の主宰する「N・T・ライト読書会」も一役買っているようである。
喜ばしい、嬉しいことである。
プロにせよ、コンにせよ、こうしてライトが取り上げられて論評されることに大いに溜飲の下がる思いがする。

おっと、このポストの主役はライトではなく、マーカス・バルトであった。
彼の小本「義認」から少し紹介しよう。

特に先日の「神のことば」で取り上げた、現代福音派の救済理解に関することで、特に「私のためにキリストが身代わりとなって死の罰を受けてくださった」と言うキリストの代理の意義に関してバルトが以下のような解釈を提示している。
This does not mean that the accursed Christ dies in the place of those whom he represents. On the contrary, when the king who typifies all Israel dies, every one of his servants is "crucified with him." ...In turn, since the Israel that Jesus Christ represents is representative of "all fresh," the whole world, every man is also "co-crucified" with Christ. Whether or not all men know yet of this death, whether or not they believe in God and in the Messiah and witness he has sent, they are legally dead. The delivering over of their advocate is fatal for them. His death is their death.
つまり「身代わりに死んだ」のではなく「代表として死んだ」のであり、故にキリスト者はその代表死(と復活)に与るのである。 このような解釈が、ガラテヤ2:19-20にも活かされるはずであろう。
現代福音派の理解はバルトが脚注で以下のように警鐘を鳴らしているように、極めて主観的、実存的「私のために」になる危険があると言わねばならない。(イタリックは二引用とも筆者のもの。)
It is shown especially by Rom. 5:6-8 that "for us" of Christ's death was already in effect "while we were yet sinners." The representative function of Christ's death depends on God's commission and recognition-not on the faith and conversion of men.
実はこのマーカス・バルトを高く評価しているのは、「ユーアンゲリオン」ブログ(右側にリンクあり) のマイケル・バード師もその一人である。

果たして息子マーカスの方の著書は邦訳されているのであろうか。
もしされていないとしたら大変残念である。

2011年1月5日水曜日

神のことば

さて、今年の巣鴨聖泉キリスト教会の「標語聖句」は
ここに腰を据えて、
彼らの間で神のことばを教え続けた。
になりました。

先日のポストでも少し紹介しましたが、キリスト教伝道の困難な日本にあって、さらにキリスト教会が現在あまり振るわない時代にあって、宣教を前面に掲げるような「聖句」を選ばせていただきました。

「神のことば」を宣べ伝える。
それは一体どう言う事か。

「神のことば」は、「聖書は神のことば」と言ったりしますが、聖書を教えることでしょうか。
あるいはもっと「聖書のメッセージの凝縮した意味」での「福音のことば」でしょうか。

では「福音」とは何か。

ここで考えなければならないのが、現在いわゆる福音派が考えるような「神・罪・救い」のような伝道メッセージなのか、それとも使徒の働きに見るような原始キリスト教の福音、すなわち使徒たちの福音(ケーリュグマ)なのか。

案外私たちは二つのものは同根であるので内容的に変わらない、と考えていないでしょうか。
突き詰めて言えば「イエス・キリスト」が福音の核であるので、イエス・キリスト様をご紹介するのが福音である、と言えばそれは同じであると言えるでしょう。

しかし別の角度から言えば、福音を語る切り口は結構異なると言えるのではないでしょうか。

近代の福音派の伝道説教をその論理に従って要約すると、大体以下のようになると思います。
①人はみな堕落の影響下にあり、罪人である。
②罪人である人間は神の怒りの対象であり、本来滅ぼされる存在である。
③イエス・キリストは罪人のための身代わりとなって十字架の上でその罰を受けて下さった。
④イエス・キリストを信じる者は罪の赦し、救いを受けることができる。

つまり、この論理は、個人の罪から救われる、実際的救済論が中心となっています。
この論理に従ってポイントを一つ一つ承認して行き、最後に「救い主イエス・キリストを個人的に受け入れる」ことで、救いが“一丁上がり”になる仕掛けです。
もし品位なくやれば、(大衆伝道の招きの時間などを見ていると)、これはベルト・コンベヤーに乗せられたような形で大衆が大量回心する便法になりかねません。
もう一つ重要なことは、この「救いのメッセージ」はイスラエルの選びと契約の歴史のクライマックスとして成就したイエス・キリストの出来事と言う歴史的視点がごっそり抜け落ちています。

筆者は使徒たちの宣教はこう言うものではなかったと思います。
彼らの福音のことばは第一にイエスをメシヤと宣言することです。
パウロは会堂に集まったユダヤ人、ギリシャ人たちに「メシヤは、あの十字架で処刑されたナザレのイエスだ」と説得したのです。
このイエスこそ神が死者の中から復活させ、神の右の御座に挙げられた方で、すべてのものの主となられたお方だ。
だからこの福音のことばを聴く者たちよ、(異邦人の場合は)偶像を捨てて、この唯一の真の主を信じ、この主にのみ従え、と勧めたのです。
信じた者たちは、「神の民」の中に加えられ、即ち「救い」に入れられたのです。

これはどんな違いなのでしょうか。福音を聞く対象が違うと言うことでしょうか。
聞く側の時代や、文化が違うということでしょうか。

現代人に「神のことば」を宣べ伝え、教える時、この違いをよく見極めなければならないと思います。

2011年1月3日月曜日

新年の祈り

新年明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしく見守り愛読くださいますよう、よろしくお願いいたします。

新年にあたっての祈り三題

一つは愛読している「はちことぼぼるの日記」のA Prayer for the New Yearにアーメン、と唱和させて頂いた。
個人としての祈りと、その後に(他の人のための)執り成しの祈りとが並列されていて、さながら「祭司の祈り」のような響きがする。
特に、
Walk with me, please, in every day and every hour of this new year,
that the light of Christ might shine through me,
in spite of my weaknesses and failings.
の後半の部分に共感させられている。
ついでながら、コメントを残させて頂いたが、締めくくりに書いた一言が筆者の新年の祈りを要約するものかもしれない。 
May His Shalom be upon all His creation!
二つ目は、筆者は名前しかよく知らないが、有名なブルームハルトの「夕べの祈り」。
ブログで紹介なさっておられる方がいるので、「1月2日」から抜粋させて頂く。
そして、いかなる時、いかなる運命、いかなる人生の中にあっても、信頼と信仰とにより堪え忍ぶことができるのです。どうか私どもの日々に おいて、あなたの御手を強いものとしえください。そして日々が困難なものとなり、この時代が悲しいものとなりましても、あなたの民をしっかりとあなたの御 腕に抱いてください。なぜなら私どもは堅く立ちたいのです。信じたいのです。この地上がさらに悪く見えましても、そのようにありたいのです。あなたは私ど もを強くしてくださることができるのです。
三つ目は「こどもさんびか」のお祈りの歌。
最近その歌詞を思い出しながら口ずさんでいる。
少し間違っているかもしれないが、
明るい朝になったとき わたくしたちは祈りましょう
静かに二つの目を閉じて 今日も良い子であるように
おまもりください 神様と

楽しいお昼になったとき わたくしたちは祈りましょう
静かにかしらをうなだれて 貧しい人に今日のかて
お与えください 神様と

暗い夜になったとき わたくしたちは祈りましょう
静かに二つの手を合わせ 無事に守れた一日の
お礼を申します 神様と
皆様の上に主の平安が主の年2011年も豊かにありますように。