「難易度ランキング」導入後初投稿記事です。
なるべく簡単なものをと思って、昔筆者が勤める(現在も勤めています)東京YMCA山手コミュニティセンターの「わいわいニュース」に書いたものを引っ張り出して、ここに紹介しましょう。
世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。…しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。(コリント第二14:10,11,19、新共同訳)
パウロが手紙を出したコリントというギリシャ都市にあった教会には「異言」の才能に恵まれた者が多かったようだ。「異言」についてはやれ人間離れした天使の言葉のことだ、とか、今で言うマルチリンガルのような状況だ、とか諸説があるが今はそれは置く。
とにかくこの「異言」によってコリントの教会の人間関係に波風が立っていた。人間恵まれすぎても問題は起こる。特に「言葉・コミュニケーション」に端を発して「よそ者意識」が芽生えるような問題はやっかいなものである。
英語で「コミュニケーション」と共同体を表す「コミュニティー」とは同じ語根を持つように、パウロには言葉による意志の疎通は単なる情報伝達だけでなく、心が通い合うような共同体の形成にまで影響してくるものだ、という洞察が含まれていた。
外国語学習者にとっても単なる「ペラペラ」(「異言能力者」)を目標にするより、もっと違った到達点が「五つの言葉を語る方」にはあるのではないか、と思わされる。
以上、果たして「難易度」判定を(1)としたが、(2)くらいに感じられた方もおられるかもしれない。
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