2013年7月14日日曜日

(4)「カトリックと聖書」②

お待たせしました、いよいよ本論に入ります。

しかし先ず前置き。

このシリーズを最初からお読みでない方は、こちらからお読みください。 
「カトリックと聖書」連載予告
(1)「カトリックと聖書」①

では以下のリンクから引用してまいります。
『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議
 
全文引用掲載許可を頂いたのですが、何回かに区切って《引用》→《コメント》して行きます。
最初はイントロの部分だけ、
 信仰年にちなみ、この連載では、五〇年前に開催された第二バチカン公会議を振り返っています。
 これまで、この公会議がカトリック教会にとって大転換点だったということをいろいろな側面から見てきました。まとめの前にあと二回、大きく変わった点についてもう少し見ていきましょう。今回は、聖書についてです。(下線は筆者)
まず目に付くのは『信仰年』と言うことばだ。

カトリック大司教区「東京教区ニュース」の新連載『信仰年』--信仰年に向けて(2012年5月号)にも説明されているが、「信仰年」は第二バチカン公会議 (1962-65) で導入された「改革方向」を堅持するために教皇からの呼びかけとしてなされたもののようである。

今回2回目となる「信仰年」の呼びかけは、第二バチカン公会議開催50周年を記念してのもの、ということだそうだ。その意義は50年を経て、公会議の存在やその意義を知らない者たちが増えてきた、と言うことが背景の一つにあるのかもしれない。


筆者は特別「カトリック・ウォッチャー」と言うことではないが、間接的にはカトリック内部での「保守派」と「改革派」の綱引きのような力学が働いていて、「第二バチカン公会議開催50周年を記念する」と言うことは、恐らく「改革派」が第二バチカン公会議で導入された路線を風化させない、推進させる・・・と言う意思が働いているのではないかと勝手に想像する。

カトリック教会の近代化路線が次第に忘れられ、その遺産を封印しようと言う勢力(空気)が支配的になりつつある、と感じているグループもあるようだ。
With the passage of time, and now at the fiftieth anniversary of the years of the Council, there is a widespread feeling that the Vatican II legacy is being lost. Even to speak positively about the Council is to incur suspicion in some quarters.Vatican II Voice of the Church HPからの引用)

さてプロテスタントである筆者が注目したのは、当然のことながら、第二バチカン公会議が「聖書」を改革の柱の一つとした点である。
世古編集長の解説がこの後続くのだが、既に1回分の記事分量に達してしまっているようなので、次回へとする。

2 件のコメント:

  1. 「カトリックと聖書」、いよいよ始まりましたね。
    この連載が今後、どのように展開していくのか、期待しつつ楽しみにしています。

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  2. はるっちさん、
    ご期待コメントありがとうございます。

    はるっちさんはカトリックですか、はたまたプロテスタントですか。

    よろしければまた感想をお寄せください。

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