2010年7月12日月曜日

ツイッターで伝道?

最初のブログ投稿に書いたように、私はツイッターを「伝道のツール」にできないかと思っています。

「最初からそんなこと書いて。まだ大してツイッターしてないくせに・・・。」

仰るとおり。始めて10日経ちましたが、目下何がどうなっているのか「フォロー」「リツイート」「ハッシュタグ」「ピック」「省略形・短略形」と入ってくるツイートを読みこなすだけでも大変。
いやそんなに真面目には目を通していません。物理的に無理です。はい。

でも依然として考えています。どうにか「伝道のツール」にならないかと・・・。

左のツイッター欄に英語で呟いていますが、ポストモダンの時代、既製教会はあまり人の来るところではありません。こちらの教会、あちらの教会と彷徨している人はいますがね・・・。本当の求道者、本格的な求道者が教会に来ることはまれです。

ポストモダンと書きましたが、かなりな程度は時代・文化の影響だと思います。ポストモダンにおける人の宗教性は多分に私的な関心・感性に左右され、既成の組織に属して吸収しようと言う人は例外的です。個々人の今流行の「スピリチュアリティー」に従って私用の宗教を、宗教・アート・エコ・音楽等様々な要素から作り上げている状態です。
近代化が進めば、科学知識が発展すれば、宗教・信仰は駆逐される、と言う短絡的な「世俗化論」はほぼ間違いであることは現在の状況から見れば明らかです。

教会の中で会員の老齢化が進み、少子化で青年・子供がいなくなり、聖職者を志す人が減り、一体これからの教会はどうなるのでしょうか。これはキリスト教会に限ったことではなく殆どの宗教組織に言えることではありますが・・・。

手をこまねいてこの状況を静観しているのでしょうか。
「○○○○○○」とか「○○○○」をやってとにかく集客(お客じゃありませんけど)して、お客がなるべく長く教会の中で夢中になっているように次から次とイベントやって、何とかミニストリーやって引き止めておくのでしょうか。

どちらの選択肢も取れない教会はどうしたら良いのでしょう。「何かしなくちゃ。でも何もできない。」

このような思考循環は即ち問題の渦にはまっている状態です。このままでは解決の方向には向かえません。

何が必要なのか。

そもそもなぜ教会は存続しなければならないのか。
教会は何のために存在するのか。

この問いに答えなければ後は単なるサヴァイヴァルのための方法論に堕してしまいます。

教会は「神の宣教」のために遣わされている。

遣わされている、と言うことは遣わした方の意図と目的に立ち戻って現状を把握しなければならないはずです。
教会はポストモダンという新しい文化変革状況の中で「神の宣教」の視点に立ち戻らなければなりません。そうでなければ買物リストもなくお金もないまま立ち往生するだけです。お使いになりません。

ツイッターが「伝道ツール」になるかどうかは、この宣教の視点の把握如何にかかっています。

「それじゃ、あなたは把握しているの?」

十分ではありませんが方向感覚は少しずつはっきりしてきていると思います。
でも実際に「出て行って」現場で試行錯誤し、検証を繰り返さなければなりません。

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