2010年7月27日火曜日

教会と制度

今日はちょっと玄人的な話題

教会と言えばごく自然にクリスチャンが集まる場所や集まりを想像すると思います。
でも“自然に”と言うことを厳密に取れば、教会が自然に集まることは殆どありません。

集まる場所や時間は決めておかなければなりません。集会(礼拝)でなされることも殆ど順序や決まりがあります。(※カリスマ派のような人たち、クエーカーのような人たちは、決められた順序より霊の導きを優先すると言われているが・・・。)

 そもそもなぜ日曜日に礼拝なのか。

 教会堂はどうしても必要なのか。

 クリスチャンが数人集まればそれが教会ではないか。

 さらに、牧師(聖職者)は必要なのか。

 十一献金は聖書的なのか。

 教会は霊的な集まりだと思ったら会議ばかりやっている・・・。

これらは「制度的」な教会の面を示す事柄であると言えます。

先日米国や英国で神学を勉強してきた友人・知人と色々と話す機会がありました。
その中で話題の一つとなったのが様々な教会の伝統の違いや長所・短所について。

アメリカを発祥としてこの十年余『イマージング』と言う主に二十、三十代クリスチャンのムーヴメントが拡がっています。基本的に福音的ですが、よりポストモダンの文化を意識しています。また環境問題や社会正義の問題により敏感です。

彼らは「制度的な教会」に批判的です。それで小グループで自由に集まって信仰を育てているようです。
しかしある程度グループが歴史を積み重ねると「制度的教会」と同じ問題に直面します。色々と話し合って決めていかなければならないのです。

もう一つ興味深い動向があります。

福音派の信仰に育った人たちの中からカトリックやギリシャ正教に宗旨替えする流れが目立つようになってきています。

一番有名なのは一昨年であったか『全米福音主義神学会』の理事長まで務めた方がカトリックに移ったのです。

この動きの背景には「福音派の信仰のあり方」に満足しない、もっと深い霊的伝統に傾倒する傾向があるようです。

日本でもヘンリー・ナウエンがよく読まれているように、いわゆる福音派の「霊性」に対して浅薄さを感じているのではないでしょうか。

戦後開始した殆どのプロテスト教会は教会数を増やしたり、信徒数を増やしたり、いわゆる「教勢的」なことにばかり熱心で、信徒の霊的深まりのような課題とちゃんと取り組んでこなかったツケを今支払わされているのではないでしょうか。

筆者は例えば『プレイズ系』の賛美にはあまり関心がなくなってきました。むしろ古い賛美歌の方に魅力を感じます。
典礼(リタージカル)な面の学びが必要と感じています。

何はともあれ「教会は信仰者の母」と言われたりするように、霊性の深まりにしても、制度的面の充実にしても、キリスト者共同体が自由かつ生き生きと御霊の実を現す方向に導かれていきたいと思っています。

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