2010年7月23日金曜日

「福音」の意味の変容

「二つの福音?」の題で、イエスが宣べ伝えた「神の国」の福音と、イエスの使徒たちが宣べ伝えた「イエス・キリスト」の福音の違いと関係について書きました。

基本的にはイエスが置かれた宣教の「時」と、イエス・キリストにおいて成し遂げられた「神の国」の福音を全世界に宣べ伝える宣教に遣わされた弟子たちとの「歴史文脈的相違」がある、とまとめました。

今回はキリスト教の教派を問わず「福音」の本来的性格からずれたところで「福音」をとらえているのではないか、との疑念について。

福音とは本来、民に対して公けになされる王や皇帝の「布告・宣告」です。戦勝報告や王・皇帝の誕生を布告することの中に「平和・正義」などの実質的恩恵の意義を込めてなされたものです。
ですから福音は本来①民一般のための、②王や統治者による、公的性格のものです。

さて福音の内容に関してはかなり巾があるとしても、現在キリスト教会が「福音」と言う時、この公的な性格、「統治者の布告」としてのニュアンスは殆ど前面に出てきません。
その代わりに何が「福音」の内容を性格ずけているかと言えば、それは「救い」、特に「個人的救い」に関するメッセージ、ということになります。

何時からそういうことになったのか、ここでは入り込みませんが、恐らく宗教改革以降、「個人の信仰」が重要性を増し、敬虔主義を通して「活きた信仰」が強調され、リヴァイヴァリズム(信仰復興運動)を通して「回心・新生(ボーン・アゲイン)」の体験を高調するようになったこと、その間に宗教と政治が分離する「世俗化」が進んだ、と言う歴史的背景が考えられます。換言すれば「信仰」は個人の内心の自由に関わること、になっていったのです。

何はともあれ、一番手っ取り早い「福音の受容」は「イエス・キリストの十字架の代償的死を認め、イエス・キリストを個人的罪の救い主として“心”に受け入れる」と言う形でなされることが多いと思います。最もこれはキリスト教の中の福音派の共通部分というのが妥当でしょうが・・・。

では原初に立ち返り初代使徒たちの福音宣言はどうであったか。

使徒たちは、ローマによって十字架に処刑されたけれども、神がこの義しい人を死者の中から復活させたことによって、イエスこそ「イスラエルの真のメシヤ(ユダヤ人の王)」であり、復活によって諸王国を支配する「人の子」であることを、神の右の座に挙げられることによって示された方、と宣言したのです。
すなわち、神が、今やともキリストともされたこのイエスを、あなた方は十字架につけたのです。(使徒2:36)
また、使徒パウロたちの宣教を非難する者たちは、彼らを
「イエスという別のがいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしている」(使徒17:7)
と描写したのです。

キリスト(ユダヤ人の王メシヤの訳語)、は初代キリスト教の宣教において非常に政治的な文脈で解釈されたのです。換言すれば、彼らはイエスを「個人的・私的な救い主」として人々に推薦したのではなく、ユダヤ人の王、そして世界の主、としてローマ帝國下で宣告したのです。
もし迫害を避けたかったら「キリスト」のタイトルにこだわらない方が賢明だったでしょう。しかし使徒たちはローマへの反逆を含意する「キリスト」の呼称にこだわったのです。なぜならナザレのイエスこそが、真の王、真の主(キュリオス)であるとの宣言を受けて遣わされたからです(マタイ28:18)。

イエスを個人的な救い主として「心の中に受入れた」クリスチャンたちは、初代の使徒たちが同じイエスをカイザルとは別の「真の王、真のキュリオス」として、人々に公けに宣告した福音を思い起こす必要があるでしょう。
イエスは「あなたと言う個人」の犯した罪の代償としてわざわざ十字架刑にかかるような策動をしたのではありません。イエスはイスラエルのために、それ故世界のために、公けに十字架の上で『ユダヤ人の王』として処刑されたのです。これは“私的な”“心の中の出来事”ではありません。公然とした事実なのです。
この公然とした事実の上に使徒たちの宣教は展開されたのです。

フェスト閣下・・・私はまじめな真理のことばを話しています。・・・これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目にとまらなかったものはないと信じます。(使徒26:25-26)

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