2010年11月29日月曜日

須藤生(すとう いくる)氏

先だっての土曜日午後、筆者が株主となっている、木工家、
IKURU DESIGN(氏のウェッブサイト)
の須藤生氏が来訪された。

実は須藤氏は以前ポストした「投資」
で書いた新進木工家のことである。 

11/24-26、東京ビッグサイトでのインテリアライフ見本市
出展を終えて、わざわざこちらまで出向いてこられた。
まあー出資者へのご挨拶と言うことだったが、
こちらは本当にわずかな出資なので恐縮だったが。

教会をご覧になられ、工房でお茶をしながら、色々とお話をうかがうことが出来た。

筆者は数年前から須藤氏のことは知っていたが、それよりも前にお父さんの須藤宏氏のホームページ「須藤オルガン工房」の方を知っていたと思う。

それでついつい聞いてみたかったのは「親子で物作り」だから、やはりDNAなのか、ということ。
そうすると意外や物作りに関心持ったのは大学生の時、ペンケースが欲しくなって、T急ハンズなど探してみたが、納得するものが見つけられず、それで自作したのが始まりだとか。

筆者が須藤氏のことを知ったのは、スェーデン留学記がテレビ番組で紹介されたものを見たか、ネットで「留学記」を目にしてからか、何れかであろう。
とにかく北欧家具職人の本格的修行をしている、と言うことで将来が嘱望される人物になるだろう、と勝手に思っていた。
株主になったのも氏の将来性を感じてであったが。

ところでそんな彼でも起業と言うのはそんなに楽ではなかったらしい。
ただ工房にする土地と建物を格安で借りられることになったり、色々と幸運にも恵まれて現在準備態勢が整いつつあると言う。
間もなく氏のウェッブサイトで「オープン」がアナウンスされることと思う。

せっかく来てもらったついでに、と言っては何だが、筆者の工房に併設する小さな小さなティールーム用のテーブルと椅子のデザイン・製作を頼んでみたら、意外にもすぐ引き受けてくださった。
どんなテーブルと椅子になるか楽しみである。

製作完成の暁には、株主だからと言うことではなく、IKURU DESIGNの「大和郷ショールーム」の乗りで紹介しようかと今から妄想している。

氏はなかなかこだわりの人で、カメラ(ハッセルブラッド)やジョージ・ジェンセンのジュエリー(「Georg Jensenに魅せられて」)に関しても詳しいのである。
同席した姉のペンダントを目ざとく「○○年のですよね。」と見定められた。

須藤さん、これからもよろしくお願いします。

2010年11月27日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月28日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 3:1-29
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 3:6-22
説 教 題 「伝えられた福音に立つ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(50)
ガラテヤ人への手紙(38)
・3:6-22のまとめ

※礼拝後、役員会があります。

2010年11月25日木曜日

ノートPCクラッシュ!

それは突然にやってきた。

今朝いつものように電源を入れて待っていたら、
背景がブルースクリーン。
c000021a unknown Hard Error
の表示でストップ。

デスクトップの方で解決策を検索してみると、かなり重症のよう。

セーフモードでも立ち上がらず、
CD-ROMでも起動せず。

どうやらレジストリーの部分がどうのこうのということらしいが、
ハードディスク自体がいかれちゃったのかもしれない。

そうなるともう買い替え・・・と言うことか。
しかしデータを取り出せるだろうか。

筆者のノートPCは主に個人用だが、ブログアップを始め、
教会ウェッブ、ライト読書会ウェッブ、木工房活水ウェップの接続用。

中古で4年半前に買ったものだが、まだまだ大丈夫と思っていたのに。
ここら辺がデスクトップと違ってノートPCの脆弱なところなのか・・・。

あーあ困った。

今使用しているネットに繋いであるデスクトップPCはブラウザー画面が正確に反映されない。
主に文字が読めればいい程度のもの。
ブラウザー画面に色が反映されないので見逃してしまう情報がある。

と言うわけで、しばらく新規購入そして設定までプログ更新も難儀しそうだ。

2010年11月24日水曜日

氷の塊をとかす

昨日の朝日新聞朝刊、吉田秀和のコラム『音楽展望』に興味深い文章が載っていた。

「ドイツに住む知人からマティアス・キリシュネライトという人のCDが届いた。」と言う文章で始まるのだが、その暫く後このように書いている。
音楽というものは楽譜という氷の塊の中に閉じ込められた生き物で、演奏家たちは、彼らの心の熱でもってその氷をとかし、音の世界を解放し、取り出してくる仕事に一生をかける人種なのだということを、こういうCDに接すると思わずにいられなくなる。
この文章の《音楽》を《メッセージ》、《楽譜》を《聖書》、《演奏家たち》を《説教家たち》、と置き換えてみると何とも面白いではないか。
この場合《メッセージ》は《神の言葉》であり、《氷の塊》は《人間である聖書記者たちの時代や文化》とさらに読み替えてみると、吉田さんの文章は、筆者のような牧師の立場で毎週説教する者にとって増々ピーンと来るものがあるような気がする。

とは言え、「心の熱」の程度はどうかと言うと、なかなかとかすまでに行かない温度の時が多いと思う。演奏家が楽譜と格闘するほど、説教家である牧師は聖書と格闘しているか。
「音の世界を解放する」まで楽譜を読み込んでいるだろうか。

何か普段の説教との取り組みを反省させられる文章である。

「のらくら者の日記」ブログの「聖書の〈スコアリーディング〉」記事でも
聖書の<スコアリーディング>なる訓練が非常に有効であることはもうお分かりかと思います。 与えられた聖書テキストのエッセンスをいかに効率よくテーマ で括るかを鍛える訓練です。 音楽の世界のスコアリーディングを聖書の読み方に適用する訳です。 ここで重要なのは、細部の正確さに拘泥しないということ です。 むしろ<抽出>という作業に徹することです。
と言うように、「楽譜を読む」ことと「聖書を読む」こととの類比をされておられる。

実は「神学」と言う、特に理性主義で少々カチカチなった神学を、音楽のイメージや語彙から解放する試みが、ジェレミー・ベグビー(Jeremy S. Begbie)と言う若い神学者にが試んでいる。

内容までここで紹介するスペースはないが、筆者が読了した中でも、
Voicing Creations Praise: Towards a Theology of the Arts (1991)
Theology, Music and Time (2000)
編著では、
Sounding the Depths: Theology Through the Arts (2002)
Beholding the Glory: Incarnation Through the Arts (2001)
などがある。

ベグビー自身は演奏家でもある。
今年四月に持たれた「ホィートン神学会議」Jesus, Paul and the people of God: A Theological Dialogue with N. T. Wrightでは、講演者の一人として登場し、最後は司会者か会場からの要請で、即興でライトにちなんだコードを利用したピアノ演奏も披露した。

音楽やアートを、神学や説教を刺激してくれる、時には深いインスピレーションを与えてくれる、と言う意味で大事にしたいものである。

2010年11月23日火曜日

「犠牲」と「贖罪論」の問題性

今回のポストは、高橋哲哉氏らによるシンポジウムをまとめた本、

『殉教と殉国と信仰と』  高橋哲哉・菱木政晴・森一弘著  (白澤社発行・現代書館発売、1680円)

に関するポストの続きです。
参考までに既ポストのリンクを以下に:
「教理と政治歴史的文脈」 (10月29日)
「非キリスト者による信仰論」(11月11日)

今回は、10月29日分ポストで取り上げた「贖罪論」と「犠牲」の関係について注目します。
・高橋氏の基調講演、
・その後の三人のシンポジストの討論、
・さらに別の時期になされた同じ方々による座談
から拾い集めた標題の件に関する(高橋氏と森氏の)意見に対して、筆者の考えることを少し述べようと思います。


さて、筆者は10月29日分ポストで以下のように書きました。
《引用開始》
筆者が一番驚いたのは、

講演の冒頭、イエスの十字架上の死を贖罪の犠牲としてとらえることに疑問を呈した同氏の主張に対して、「贖罪論はキリスト教信仰の核心だから譲れない」 との反響があったことを紹介し、「欧米の神学者の間にも批判的な議論が存在してきた。贖罪論なしに信仰が成り立たないかどうかは、もはや自明のことではな い」と反論。
と言う部分。(アンダーラインは筆者)

これはかなり踏み込んだ意見だと思う。
《引用終わり》

2009年11月23日シンポジウム当日の高橋氏の基調講演には「イエスの十字架上の死を贖罪の犠牲としてとらえることに疑問を呈した」主張はありませんでした。
氏の基調講演は「殉教の死をたたえることが、キリスト教の信仰と本質的なところでそぐわないのではないか」と言う問題提起でした。
と言うわけで、上記の報告は、10月9日、神奈川県の川崎市総合福祉センターで行われた『殉教と殉国と信仰と』(白澤社)の出版記念講演会(カトリック横浜教区正義と平和協議会主催)での発言とある通り、シンポジウムでの討論と、それから約一年の間にあったことを踏まえての発言であったことが判りました。


さて「イエスの死」と「贖罪の犠牲」の関連の問題が特に提起されたのは、その基調講演後の「ディスカッション」においてでした。
この点筆者の最初の反応が、高橋氏の言説に正確に対応していなかったことを、お詫びします。

と言うことで、著書中「5.ディスカッション」部分から少し引用が長くなりますが、高橋氏と森氏の間での「イエスの死」と「贖罪の犠牲」に関するくだりを紹介します。
高橋:・・・キリスト教で殉教が語られるときに、イエスが十字架上で刑死したこと、これを「犠牲死」ととらえるのかどうかが問題になるのではないでしょうか。従来は、これを犠牲死と見て、見習うべきモデルとする見方が強かったのではないか。・・・しかし、このイエスの死を犠牲死ととらえる見方そのものについて、キリスト教思想の中でも議論はあったと思いますが、もっときちんと検討しなおす必要があるのではないでしょうか。
森:・・・結局、キリストの十字架を生贄とか犠牲としてとらえると、神理解が色々歪んできてしまうんです。
高橋:やはり、そう思われますか。
森:キリストの十字架を「犠牲」というかたちで説明するのは、先ほど申し上げた正義、交換の正義と言う視点が、聖アンセルムス(1033-1109)とかトマス・アクィナス(1225-1274)あたりで神学の中にどんと入ってきてしまった論理です。それがのちに主流になって今日まできてしまった。
ところが、キリストの十字架を「犠牲」としてとらえてしまうと、神の姿が歪んできてしまう。それは現代の神学者たちも指摘しているところです。・・・ちなみに、福音書をずっと読んでみても、福音書の中にキリストの十字架を「犠牲」とする、あるいは罪のあがないとするような言葉は全く出てきません。ですから、そういう意味で、現代はもう一度、真正面から神理解、そしてキリスト教の教義理解に取り組まなければならないと思っております。
(以上、98-99ページ)
勿論、高橋氏の関心事は「犠牲」そのものではなく、「殉教」を正当化する神学的議論としての「贖罪論」での「犠牲」の役割であろう。
筆者は、中世神学のややこしい議論をフォローしきれないので、話を簡単にするが、高橋氏はここで「イエスの十字架による死」を、殉教の模範となるような意味での「犠牲」と取っているようである。つまり「自己犠牲」と言うことになる。

これに対し森氏は「贖罪論」と「正義論(ジャスティス)」の絡まりの中で、「犠牲」が「交換の正義」で果たす役割に限定して問題視しているように思う。
そして「福音書中にはそのような議論を支持する記述はない」と断定する。

高橋氏はこのディスカッション後の『座談会』で(当日か後日かは明記されていないので不明)アンセルムスの「贖罪論」を次のようにまとめている。
高橋:トマスの影響は大きいでしょうし、贖罪論との関係でいうと、アンセルムスの『クール・デウス・ホモ 神は何故に人間となりたまいしか』・・・の存在が大きいのでしょうね。要するに、人間は神を裏切って罪を犯したことに対して償わなければいけないのだけれども、神に対する背信という罪は無限の罪であるので、人間には償う力はない。そこで神自身が人間に手を差し伸べて、それを一緒にやってくれる。神であり同時に人間であるようなイエス・キリストの死をもって、それをあがないとして、神が人間と和解する。そういう理屈だと思うんです。(以上、152ページ)
さて、中世神学議論に疎い筆者が述べられることは僅かである。
①中世からの神学的伝統の枠組みとしての「贖罪論」は森氏の言うように、ローマ法的背景(?)、あるいは「名誉を重んじる社会的背景」(?)、と深く繋がっていると思うので、アンセルムスにしても、トマス・アクィナスにしても、彼らの神学的伝統をそのまま踏襲する必然性はない。贖罪論をどう説明するか、言語、イメージが修正可能である、と言うことは言えると思う。
②しかし、「贖罪論」自体がなくともキリスト教信仰が成立する、と言う提案にはかなり抵抗がある。それは一つに、新約聖書の「贖罪」の様々な語彙や、イメージの存在を否定することに繋がらないか、と言う危惧である。
③例えば、森氏は福音書中に「罪の贖い」のような言及はない、と言い切っているようだが、

人の子は・・・多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。(マルコ10:45、新共同訳)
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である。
(マタイ26:28、新共同訳)
 と言うように、全然ないとは言い切れないのではなかろうか。

そして新約聖書全体を見た時には、ヘブル人への手紙全体が旧約祭儀(大祭司、犠牲、大贖罪日、等特に9:12)をベースにキリストのわざが語られているし、第一ペテロも「贖い」が「キリストの尊い血」によると言っているように、「贖い」と言う語彙を否定することも、また「贖い」と「キリストの血」、即ちその死が関わっている(必ずしも磔刑とではないが)ことを否定するのは難しいと思う。

パウロだけを見ても、
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。(ローマ人への手紙4:25、新共同訳)
 キリストは・・・ご自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。(ガラテヤ人への手紙1:4、新共同訳)
とある。
④森氏の「歪んだ神理解」の問題は、察するに「贖罪論」の一部を占める「刑罰代償死説(penal substitutionary death)」や「支払われた代価がサタンに対するものだった」のような説に対する批判であって、「キリストの贖罪の事実」そのものに対する否定とは思えないのである。
⑤筆者が最重要と思うのは、「キリストの贖罪」理解に関して、現代の神学的要請から「犠牲」や「贖罪」の意味を軽減したり、削除したりするような神学作業をするのではなく、「キリストの贖罪」を本来のユダヤ的、旧約聖書的、契約概念的背景を通して理解し、神学的議論をこれによって修正する、と言うことだと思う。

以上、著書を謹呈下さった高橋氏に謝すると共に、幾ばくかの感想を述べさせて頂いた。

一キリスト者として「現代の文脈」で「キリストの贖罪」を考える機会を提供して頂き感謝する次第である。

(※読者の皆さんには、混みいっている割りに不十分な議論にお付き合い頂きありがとうございました。)

2010年11月22日月曜日

お詫び

読者諸氏、

先土曜日は「日曜日の更新を暫くお休みします」、と言うご案内をしました。

予定では、今日ポストするつもりで用意していました。
が、諸般の事情でまたお休みしなければなりません。

暫くのあいだ、不定期での更新となるかと思います。
よろしくお願いします。

2010年11月20日土曜日

ご案内

読者の皆様、
暫くの間、日曜日のブログ更新をお休みいたします

次回更新は、11月22日(月)の予定です。

よろしくお願いいたします。

明日の礼拝案内

収穫感謝 主日礼拝

11月21日 午前10時30分

交読箇所 詩篇 104:1-35
朗読箇所 創世記 8:13-22
使徒の働き 14:8-18
説 教 題 「実りの季節を与え」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※礼拝後、持ち寄りの昼食会があります。
※次週、礼拝後役員会があります。

2010年11月19日金曜日

不寛斎ファビアン

東京聖書学院(日本ホーリネス教団)内に事務所を置く、東京ミッション研究所から「ニュース」が送られてきた。
筆者は会員ではないが、ご丁寧にこのニュースを毎回送っていただいている。
現在所長をなされているのは金本悟先生。

小さいながら(失礼)意欲的にセミナーや翻訳をなさっている。
最も大きいものでは、デイヴィッド・ボッシュ「宣教のパラダイム転換」David Bosch, Transforming Mission: Paradigm Shifts in Theology of Mission (Orbis Books, 2001.)がある。

さて今日届いたニュースには、石戸充氏による「日本仏教とキリスト教宣教~転びイルマン不寛斎ファビアンから~」(TMRI秋の研修リトリート報告)と言う興味深い一文が載せられていた。思わず一気に読んでしまった。
(別に長い文ではないのですが、最近読むものが多くて、ちょっと引っ掛かりがないとすぐ止めてしまうんです。)
リトリート講師、大和昇平師による「最新のファビアン研究」講演の報告を土台に「現代日本のキリスト教宣教の文化脈化」を考察するもの。

転びイルマン、とあるように一端キリスト教を受け入れ、仏教、神道を相手にキリスト教弁証論まで書いた不寛斎ファビアン(1565-1621)が、後棄教する。
その数奇な生涯も興味深いが、キリスト教の文化脈化を考える上で、なぜ、どのようにして棄教したのか、彼の棄教前の著作に著されたキリスト教理解を先ず分析している。

『妙貞問答』の上巻・・・仏教への論駁、中巻・・・儒教・神道への論駁、下巻・・・キリシタンの教えの大綱、と言う体裁を取るのだと言う。
その中で仏教用語の「後生の助け」を用いて、
「後生の助けはデウス(唯一の神)に拠ることこそが大切である」と語る。
《ファビアンが理解したキリスト教の特徴》としてまとめられているのは、
①非神話化による他宗教批判・・・例えば「釈迦とても人に過ぎない」
②スコラ哲学の影響・・・造物主と被造物の区別が「資料(マテリア)から形相(ホルマ)への段階的秩序に基づく宇宙観」によってなされる。
③『妙貞問答』の土台となったと考えられる『日本のカテキズモ』(ヴァリニャーノ著、フロイス訳、1581年)

《『破堤宇子』(1620年)の問いかけ》
その内容は、
天使論(あんじょ)で天的被造物の階層に触れ、人間を弱く造ったのに裁く神は無慈悲ではないか、と『妙貞問答』の議論を逆にたどるキリスト教批判を展開する。悲惨な事件があるのに神は何をしているのか。悪というものの積極性が関わっている問題にも触れており、神義論がテーマとなっている。
とのこと。

これに対しては
創造と堕落そして悪の存在を統合して見るには人格的概念が深く関わってくるが、ファビアンは人格概念にまで理解が及んでいなかったのではないか、さらには、贖罪論が弱かったのではないか、などの指摘もなされる。
とのこと。

《日本仏教とキリスト教の文脈化》
文脈化の要素①・・・『恐れ』に対する向き合い方
ファビアンが「根源的第一者こそが創造主である。仏など何もいないのだ」と批判する時に、嘲笑的で論争的な表現が「軽すぎる」と言う批判を受けることがある。この「軽さ」とは何を意味するか。一つには、理由は判らない漠然とした「恐れ」であるが、日本の土壌ではとても深刻で根深いこと。恐れ忌むという本能的な行為の深刻さにファビアンが十分向き合っていない・・・
文脈化の要素②・・・「空」の理解
「無常感」、人生の痛みに対する共感が必要。神学的議論で切って捨ててしまうのではなく。
仏教との対話をつきつめた時、死が持つ尊厳性の問題や、贖いの問題が充分に対峙されていない分野として残っている・・・「無常」の中で「痛み」を感じる人々に適切に寄り添うにはどうすればいいのか、と言う問いも文脈化への模索として非常に重要となる。
 と、乱雑な紹介になってしまったが、福音の受容、と言う意味で、特にファビアンのような知識人的教養を備えた人のキリスト教受容の問題性を考える上で、興味深いケースではないか。

筆者は第二次大戦後知識人の思想問題として『転向』に関して少し考えたことがあるが、通底する問題としては次のようなものがあると思う。

①加藤(周一)が言うように、日本には自前の「超越(者)」の思想が見られない。それは外国からやってきたが、特に知識人層に受容される時、生活とは切り離された「思考の産物」としての受容に留まる傾向がある。だから新しい思想が入ってくると、これを受容した思想との緊張や対峙なく乗り換える傾向も強い。
②この「思想が生活から切り離される」傾向は、外圧的力によって思想を変更することを容赦する心的傾向となる。「転向」はその一例とも言える。
③その外圧的力が第二次大戦中は「皇国思想」に一本化したわけだが、吉本隆明が表現したように、それは「転向」としてではなく、「思想の祖先帰り」となった。つまりありがたく、土着思想に帰依する形を取った。

ファビアンは先ず外来思想の持つ「超越性」に感じ入った。それによって土着宗教を論理的に破ることが出来た。
しかし、(これは単なる推論だが)キリスト教迫害と言う「外圧」下で試され、そこで土着の思想との再会をし、自らの内に克服できていなかった心的傾向によって、キリスト教批判に転ずることになった。
彼の棄教は、外来思想を生活とは切り離された論理として取得したものを、より生活に染み付いた「人生観」によって批判的に克服する方向にに転じ、キリスト教神学内で整合させるような思想的解決の方向を取らなかった。
そのように「思想」ではなく「実感主義」に舵を取ったファビアンには、上滑りする思想より、日常に根ざす「無常感」がより強い「人生の真実」として作用していたのではないか。

と、まあ又聞きの又聞きの論評ですから筆者の言った部分はお聞き流しください。

(※残念ながら東京ミッション研究所のウェッブサイトはないようです。
参考に近刊の「不干斎ハビアン‐神も仏も捨てた宗教者」の書評ブログがありますので、ご覧ください。)

2010年11月18日木曜日

牧師の本音を語る?

先日「キリスト教放送局日本FEBC」から出演依頼が来た。
『この地に、牧師として生きる』と言う番組だ。
既に『先生の放送予定日』として、2011年8月15日(月)、と記されていた。
たまたまとは言え、終戦記念日ではないか。


『企画意図』のところに以下のように書かれていた。
随分昔になりますが、聴取者からいただきました手紙に「キリスト教の牧師さんは、本当に上手な話をするものだ。《たてまえ》は分かったから、牧師さん自身の《ほんね》を聞きたいものだ。」と言うのです。信仰告白や説教を単なる《たてまえ》と聞かれるのは淋し過ぎます。そこでいつも説教をしておられる先生方に、説教ではなくご自分が神様にどのようなお取り扱いを頂き、何が先生の本当の喜びであり、何が悲しみなのか。例えば先生にとってイエス様とはどなたか。なぜ牧師職になられ今牧師をされておられるのか等、お証し頂きたく存じます。
このシリーズは全国の牧師たちをカバーしてもう何順目かしているらしい。今回また東京圏だか、関東圏に戻って来るらしい。

とにかく、その送られてきた企画書、特に『企画意図』を読み直して、果たしてこの依頼を受けたものかどうか考えた。
一番引っかかったのは《ほんね》と言う部分だ。
しかし最後のところでは「お証し」と締めくくられている。

筆者は以前書いたように母方から数えて牧師三代目、父方からは二代目、所謂「牧師家庭」、また「教会」を最も身近な文化として育った人間である。
そのような者から言わせれば、「お証し」とはしばしば「クリスチャンらしく、行儀よく語られる」何ものかであり、何回も語るうちにパターンが出来上がった話である。
《たてまえ》とまでは言わないが、やはり本当の意味での《ほんね》とは少し乖離するもののように感じる。

もし引き受けるのであれば、どっちの線で行くのか・・・。
そんなことをあれこれ考えているうちに、担当者から確認の電話を頂いた。
その時点でしっかり踏ん切りがついていたわけではないが、「前向きに」みたいな政治家の表現のようなしゃべり方をして行くうちに、承諾することを伝えた。

他の「キリスト教の牧師さん」はどんな話をしているのか、早速ウェッブで聞ける範囲で聴いてみた。
どちらかと言うと「お証」かなー、と聴きながら思った。
自分の場合を想定して考えると、とてもこんな風には行かないだろうなー、と思いながら・・・。

そんなことがあってここしばらく「神の恩寵」を個人的にどう捉えているのか、特に現在のタイムラインでどうなのか、思い巡らしている。
アメージング・グレースの歌詞のように、一つの結論を見た感慨はない。
まだ途上での「神の恩寵」感である。
目下は特に強く感じることはない。
むしろ弱い感じである。
だから無理にでも「神の恩寵」を鼓舞したい気持ちになりそうなことがある。

牧師としての悩みは深いとは言えないが、苦労に対応する喜びが湧いてくるか、と言われれば、いや、ただ坦々とこなしながら、凌いでいる感じがしないでもない。

さて、録音日時が決まるのは今月末らしいが、来年になるだろうその時に、果たして自分の霊性は、「神の恩寵感」は、どうなっているだろうか。
出来るだけ「励まし」になるような良い「お証し」をお膳立てしようとするだろうか。
それとも出たとこ勝負で「本音をぶつける」ことになるだろうか。

まっ、その時を待ちながら、日々坦々と待ちます。

2010年11月17日水曜日

プロテスタントと旧約聖書

「一キリスト者からのメッセージ」ブログの11/9,13「祈りについて」「祈りについて(続き)」

で、ブログ主と「コメンター」の方が何やら深いやり取りをやっているのを傍から眺めている。

今回は、他人様のブログのコメントから、自分のブログにやり取りを借りてきて、記事にしてしまおう、という失礼をお許しいただきたい。
問題のコメントは、
神と個人的に向かい合う事は、正にプロテスタントでよくある状況だと感じました。所謂、「我と汝」。カソリックの様に、マリア信仰も聖人も関係ないからこそ、生じている状況でしょう。そこで、追いつめられてしまう人もいますね。
私もプロテスタントですが、特に旧約については、冷ややかに読んでいます。中東戦争以来、注視しているイスラエルとパレスティナの戦闘状況も影響していま す。旧約の詩編は、よく励ましや慰めの言葉が好んで用いられますよね。でも、それはイスラエルの民だけのもので、それを邪魔する者たちへは、実に容赦がな い。そこが引っ掛かるんです。都合の良い部分だけ利用していないか、と。
どうお考えですか?
前半のコメントは「プロテスタント」の「神」と「自己」の間に仲介者を置かない(置かせない)、ある種結果としての孤立性、神の前に一人で立つ自立した人間の背伸びのような苦しさを表現しているように思う。
突き詰めるとプロテスタントはこのようなところに追い込まれる可能性はある。その祖形は既にマルチン・ルターにも見られるように思う。
ただカトリックの「マリア信仰も聖人」のような“人間的仲介”がないか、と言えば、ヘブル人への手紙によれば、まさに「人であるイエス・キリスト」が大祭司として神の前に執り成す存在としておられるわけである。
しかしキリストの神性が強調されることによって、キリストの仲介者性は弱まったかもしれない。

でもプロテスタントの方のお祈りの文言に注意すると、祈りの時「誰」に呼びかけているのか少なくとも二つあるのに気付く。
①祈りの時「父なる神」を呼びかけるタイプ(こちらの方が多いと思う。)
②「主イエス様」と呼びかけるタイプ
恐らく祈っている人の意識の中では、どちらも「神様」に祈っているのだと思うが、特に②のありようは、多分にカトリックの祈りに近い「神」と「人」との間で執り成しをしてくださる「仲介者イエス」。ヘブル人の手紙の神学的な角度からは、「人なる大祭司・イエス」が透けて見えるような気がする。
筆者はプロテスタントだが、カトリックが聖母マリアや、聖人たち、を祈りの仲介者とする習慣は分からないでもない。
それは神が余りにも「超越した存在」に感じられる場合、より身近な、しかし「天にある存在」がその代わりとなってくれる、と言う願望だと理解する。

それに対して「一キリスト者からのメッセージ」のブログ主は、旧約聖書の人物(ヤコブ)たちの「神との人格的格闘」の中に「祈り」の何たるかを見ようとしているのだと、そう読ませていただいた。

コメントの後半は、詩篇の言葉を信仰者が「今に」対してどう適用するか、と言う時の問題を指摘している。
詩篇の言葉が、読む個人の「励ましや慰め」だけを抽出していないか。詩篇の作者の「敵に対する報復の願い」が時に強烈な表現でむき出しになっているのに鈍感になっていないか、と言う指摘であろう。

筆者の教会では、礼拝交読は詩篇を用いているが、順番に一篇ずつ交読している。
聖書は朗読されることが重要である。
短い断片的な箇所を切り取って交読ではなく、なるべく一遍ならその全体を交読することを心がけている。
しかしある時、コメンターが言うようなイスラエルの敵に対する激烈な表現の箇所が交読の順番に回ってきた時、礼拝に相応しいかどうか(交読は読まれるだけで、後から解説される訳ではないという前提で)と言う視点から判断して、これを回避したことがある。

このような判断は何に基準を置くか、もっと明確にする必要があるだろうが、少なくとも旧約聖書はそれ自体で「聖書の権威」がある、と言うのはキリスト教的に言って穏当ではないように思う。
キリスト教の聖書は「イエス・キリスト」に焦点を当てた上での「旧・新約聖書」全巻一体なのだと思う。
だから詩篇でも五書でも、「イエス・キリスト」の視点から「権威」として読まれるのが相応しいと思う。

その意味で、「旧約聖書」をフラットに権威として読んだり、適用したりするのは、不十分であると思う。(逆を言えば、旧約聖書の記述・文言全体を「イエス・キリスト」の視点からではなく、現代人の道徳観や正義感から難詰するのもやはり焦点を外した読み方になるのだと思う。確かに「ヨシュア記」の聖絶は理解に困難だが、ジェノサイドと同列に論じるのは聖書を正しく読み解くことにはならないと思う。)

以上まことに簡単だが、感想を述べさせていただいた。(今日のブログを更新させていただいて、ありがとう。)

2010年11月16日火曜日

祈りの家?

当教会は住宅地としては広い道路に面していて、しかも真向かいは児童遊園。
真に立地には恵まれている。
表にも内部にも十字架は無いが、何となく雰囲気的に教会、しかもカトリック的建物に見えるらしい。

と言うのも、先日も玄関の扉をガチャットする音がしたので、外に出て見ると、立ち去ろうとする30~40代の女性。
「ちょっとお祈りしたいと思って入ろうとしたんですけど閉まっていて・・・。」
「うちはカトリックのような教会ではないので・・・。」
残念ながら、このような門前払いが一年に一二回ある。
現在の会堂に建て替える前はこのようなことは殆ど無かった。
建替え後からこう言う事が起こるようになった。

しょうがなく、と言っては何だが、「しばらく中で祈らせてください。」と言う人を無碍に断るのもどうかと思い、何回かは中に入れたこともあった。
「私どもの教会は、カトリックのような『お御堂』と言ったようなものではなく、ただの礼拝スペースなんですが・・・。」、と一応説明して。

普段の教会のミニストリーと言うのは殆ど無いので、このような突発的なことであれ、建物自体がそのように対応できるものであれば、開放された「祈りの家」のようなことを考えなくも無いが。
いかんせん、当教会は「牧師館」とほぼ一体の構造なので、開放しておくわけにもいかない。

一応牧師執務室(書斎)が玄関の横にあるので、玄関に来た人の気配はすぐ気付くことが出来るが。

先日紹介したアズベリー神学校で取った『スーパーバイズド・ミニストリー』を思い出す。
まあ実践神学のコースの一つだが、実際に現場でのミニストリーを「ケース・スタディー」メソッドで記録し、仲間たち(ピアー)から、そしてメンターとなる教授から、その時その現場でどんなミニストリーが出来たかを討論したり、アドヴァイスしたりしてもらう。

一学期間に数箇所ミニストリーの現場に赴くわけだが、筆者の記憶に良く残っているのは、一つは総合病院のチャプレンとして、死期の近い患者の個室でのミニストリーでのこと。
勿論一人で行うのだが、病室のドアを開けて、先ずその暗さに気押された。
カーテンを閉め切って、いかにも希望の無い雰囲気がひしひしと伝わってきた。
最初は話しかけるのもためらわれた。
しばらくして自分は何であり、何のために来ているかを説明して、相手の出方を待った。
結局少しずつだが、現在の病状と、信仰履歴のようなものを聴くことが出来、最後は確か祈って退室したと記憶している。

もう一つ記憶に残っているのは、「ミニマム・セキュリティー・プリズン」。要するに刑の軽い人が収容される刑務所で、割合施設内部で行動の自由がある。
刑務所のイメージと言うと、重たい鉄の扉や格子で閉ざされた空間、と言ったものだったが、入ってびっくり、中はまるで大学キャンパスのように服役者が自由に中庭で団欒していた。その輪の中に入って行って、証しするわけである。
まあ、いきなり個人伝道と言うことではなく、施設内での生活等を聞くわけだが、話を聴いていくうちに、やはり外見ではかなりな自由があると言っても、施設に閉じ込められていると言う束縛感はどうしようもなくあるのだ、と言うことを話してくれた。

新約聖書には「病人や、牢屋に繋がれている人」を訪ねるミニストリーのことが書かれている箇所があるが、現在の当教会のミニストリーは、そのような不特定多数を相手にしているものではなく、信者と言う言ってみれば「特定の顧客」相手のミニストリーで終わっていることを思う。
教会が地域と関連付けられている「キリスト教国・アメリカ」の歴史的伝統との彼我の違いを思わされる。


まだまだ地域との絆が弱い当教会は、ミニストリーを“開拓”して行かなければならないのだろう。
どうやって?
まだまだ力不足でイメージが湧いて来ないのが実情。

2010年11月15日月曜日

牧師の独身

カトリックとプロテスタントの違いの説明で、
カトリックの神父は独身ですが、プロテスタントは妻帯が許されています。
と言った表現を見受ける。

歴史的にプロテスタントはカトリックから派生したわけだが、カトリックの修道士だったマルチン・ルターが破門後妻帯するようになってから、いち早く「プロテスタント“聖職者”」は妻帯が通例になったのであろうか。筆者はその歴史的変遷については殆ど知識が無い。

なぜこんなことを書いているかと言うと、筆者は50代後半の今まで独身で通してきた。
別に選んでそうしてきたのではなく、たまたま結婚へとうまくことが運ばなかった、そしてこの年になると最早それが摂理、と受け取るようになった来た。

ただ周りを見回しても、プロテスタントで筆者の年齢で独身の牧師と言うのは殆ど皆無である。
と言うか、牧師は結婚していて一人前、と言うのが暗黙の了解のようである。
よって牧師がいい年齢まで来て独身でいることは何か良くない、好ましくないように受け取られる風潮があるようである。

ある時(今から15年以上も前)ある会合で、同席していた牧師さんから当たり前のように「ご家族は?」と聞かれ、こちらが「私は独身です」と答えたら、「えっ、」と二の句を告げないくらいびっくりされたことがある。筆者にとっては、その反応はいたく「否定的」に感じられ、「独身であること」の後ろめたさのようなものを抱えながら今日まで来たようなのである。

カトリックにおいては「神父」になることは「独身の誓い」を要する。ある種“深刻な決断”を伴う故に尊敬を持って受け取られこそすれ、「後ろめたい」態度とは無縁なものと想像する。
しかし、プロテスタントでは独身牧師の余りの数の少なさに、自らもそう思ってしまうからか、「肩身が狭く」思えてしょうがない。
(実際のところプロテスタントで40代、50代でも独身で牧師をしている方がいたら教えて欲しいものである。)

聖書的に言えば、イエスもパウロも、「神の国」のために独身を勧めた。
しかし、長老は「一人の妻の夫であり、家庭を治める」ことを条件のようにしている。
牧師は長老型ミニストリーなのだろうか。

さらに現在では、教会と言えば「クリスチャン・ファミリー」が柱で、適齢期の青年男女は結婚して「クリスチャン・ファミリー」を形成し、教会の核となることを期待されている。
故に「クリスチャン・カップル」を作ることを牧会上の最優先課題と考える牧師も少なくないであろう。

しかし、時代は男女同権、晩婚化。女性の方が段々結婚を至上視しなくなってきたため、「自分に相応しい人でなかったら、無理に結婚しなくても良い」となりつつある。
キリスト教会は男女の比率が不均衡(3対7位?)で、適齢期の女性が同信の伴侶を得るのが困難な環境は殆ど変ってないようである。
最近では個人主義も進み、ノンクリスチャンと結婚する女性も増えてきているようだが・・・。

教会が「結婚至上主義」でいる限り、現在の人口・社会動向からすると、教会内で「独身でいる」ことによる「居ずらさ、居心地の悪さ」を経験させられる「結婚適齢期男女」は増えるのではないだろうか。

一体教会は「結婚至上主義」の青年男女ミニストリーだけで良いのだろうか。
「何となく独身」でアラサー・アラフォーまで来てしまった人たちの中には、「生涯独身」を考えている人たちも少数でもいるのではないだろうか。
その方々には「結婚・クリスチャン・ファミリー」以外の積極的な人生設計はないのだろうか。


何事も比較される「キリスト教国・アメリカ」でも、この独身者問題にスポットが当たるようになったのは最近のことである。
(クリスチャンの伴侶を求める場合)生涯独身の可能性が高い、特に女性たちの悩みを拾い上げる場は、「クリスチャン・ファミリー」が理想とされるアメリカ福音派教会にはなかなか出てこなかった。ようやく最近になって、そのような悩みを抱える女性たちが自らのニーズ、主に独身女性へのミニストリーの必要を主張できるようになってきた。

セリバシー、選択による独身「クリスチャニティー・トゥデー」Choosing Celibacy. How to stop thinking of singleness as a problem.

が「キリスト者人生」の一パターンとして考えられるようになってきている。
日本の教会でもそろそろ真剣に考える時が来ているのではないか。

2010年11月14日日曜日

先生の横顔(2)

ケンタッキー・マウンテン・バイブル・インスティチュートでの一年の学びを終え、留学生奨学金を得て次に進んだのは、目標にしていたアズベリー神学校(Asbury Theological Seminary)だった。

M.Div (マスター・オブ・ディヴィニティー)と言う三年間のコースに入学したのだが、ここでも日本人学生は一人だけ。留学生もそれ程多くなかった。
一年目にマーク・アボットとルーム・メイトになった。
陽気なテキサン(テキサス州出身者)で、すぐ打ち解けることが出来た。
彼は宣教師を目指していたこともあり、他文化に対する関心が旺盛だった。

米国滞在一年を過ぎ、ようやく普段の会話や授業の聞き取りもできるようになったとは言え、英語力はまだまだだった。
それでも成績次第では、GPA(グレード・ポイント・アベレージ)と言う成績評価点が一定基準を満たすと、二年目からだったか、最終年だったかのコース選択を「集中」出来る制度があった。
神学校卒業後もドクターに進むことなど考えていなかったが、インドネシア人の一年先輩の留学生から、この制度を利用して「集中」コースに進むことを推薦された。
自分のその時の実力ではとても可能とは思わなかったが、とりあえず頑張って見ることにした。
結果そのGPAポイントに達し、「集中」コース選択が可能になった。

何となくだったが、自分の関心領域は「倫理学」と感じていた。
と言うか、宗教哲学と神学の教授である、Harold B. Kuhn師のコースを幾つか取っていたので、この先生の薫陶をもっと受けよう、と考えたのであろう。

クーン教授はアイオワ州出身のドイツ系移民(多分)の子孫で、背は低いががっしりした体格。手が大きく、指も太く、どちらかと言えば「アイオワ州」と言うこともあり、農夫の風情の人であった。
しかし、頭脳明晰、頭の回転の速さは神学校の教授たちの中でも群を抜いていた。
教えていたコースも、保守的な神学校としては先進的で、社会倫理の専門コースで筆者がリサーチテーマに選んだのは「リコンビナントDNA技術の倫理的問題」であった。

クーン教授は当時「クリスチャニティー・トゥデー」の論説委員も務めていて、現代神学思潮・動向に関し鋭い分析記事を寄稿していた。
またアメリカの「福音主義神学会」創立時代からのメンバーで、1940年代後半から、1950年代にかけて「新福音主義運動」興隆時、その輪の中にいた人物でもあった。

彼はクラスで結構ジョークを飛ばすのだが、困ったことにジョークのネタが洗練され過ぎていることが良くあった。一人でくすくす笑いながらジョークを言うのだが、聞いている生徒たちはお互いに顔を見合わせながら「何が落ちなのか」分からず、戸惑いの表情・・・と言うことがしばしばあった。

そんな中で筆者でも覚えているのは、ちょっと皮肉っぽいが、「ユニテリアンは三位一体を否定するが、一人の神を三人で礼拝している。」と言ったものだった。(正統的教会に比較して、圧倒的に会員数が少ない。つまり影響力のない神学であることを皮肉ったジョーク。)

アズベリー神学校の教授たちの中では一番のインテリであったが、単なるインテリではなく行動の人でもあった。
うっすらとした記憶であるが、よくヨーロッパに出かけては、講演や援助のような仕事も黙々と続けておられた。
福音に対する確固とした理解を持ち、福音宣証に情熱を燃やしていた方であった。その方法はあくまでも知性と良心に基づいたものであった。生半可な扇情的言辞は皆無だったと記憶している。
しかし知性偏重と言う訳でもなく、他のアズベリーの教授たちも結構そうであったが、授業開始や途中に短い賛美を挿入したりした。
それがHymn(賛美歌)だけでなく、God is so goodみたいな単純なものも良くあったっけ。

さて、筆者の卒業時進路選択に当たっては、どのドクターコースに入学申請すべきかアドヴァイスしてくれたのだが、先ずハーバード、そしてプリンストンと、筆者にとっては「高嶺の花」の校名を平然と並べられたのには正直驚いた。
ご自身がハーバードでPh.Dを取得されたので、とにかく良い学校を狙うべきだ、と言うお考えのようだった。

アズベリーでの三年間(1978-1981)は筆者の留学期間の中でも最も充実したものであった。
(※その後、学校自体は規模が大きくなり、筆者が住んだ寮なども無くなったりして、昔日の面影は大分薄くなったようだ。)

2010年11月13日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月14日(日)、午前10時30分より

ヘブル書の学び(17)

聖書朗読 ヘブル人への手紙 3:1-4:13
説教箇所 ヘブル人への手紙 3:1
説 教 題 「信仰の使徒であり、大祭司であるイエス」
説  教 小嶋彬夫牧師

《説教メモ》
モーセより偉大なイエス(3:1-6)①

※次週、「収穫感謝礼拝」。収穫の主に感謝する「地の産物」一品と「持寄り昼食会」のおかずかデザート一品ご協力ください。

2010年11月12日金曜日

アートな教会

先日、11月3日文化の日は「オープンチャーチ」だった。
事前に大した宣伝もしなかったし、色々な事情で少ない来会者だった。

“教会の文化祭”のような感じでやっているのだが、如何せん会員数の少ない教会ゆえ展示物の点数は限られる。
でもなかなかの趣味や芸の域に達している人たちもいるので、ブログでご紹介しよう。

①俳句
松岡みどりさんは、舞台俳優としてのキャリアと共に俳句も作り、NHK・BSの俳句の番組に出演されたこともある方。
今回は「橋本シャーンの絵が載せられた俳句五句と、別に一句を展示された。
ここでは俳句だけご紹介。
客席の暗きへ台詞放ち冬はじまる
五十路なる二枚目役者冬帽子
稽古果て寒夜についてくる台詞
芝居はね凍て星の役貰はむか
冬北斗朗読の声鋼なす

磔刑の像の腰布寒夜かな
②写真
T兄は多芸な方だが、一番(?)熱が入っているのは「鉄道写真」、所謂「撮り鉄」のベテラン。
特に蒸気機関車の写真を撮るため世界のあちこちを回っている。
今回はルーマニアの鉄道と農村風景、八枚の写真を展示いただいた。
(ライトに反射して分かりにくいが・・・。)









③書
I兄は書道が得意な方。旧会堂時代、講壇の後に年間標語聖句を掲げていた時はその聖句を書していた。
今回はI兄が教科書で学んだと言う八木重吉の詩と、当教会の「朗読セミナー」で用いた金子みすずの「積もった雪」を展示された。
ここでは詩の内容だけ紹介する。

八木重吉「皎々とのぼつてゆきたい」
それが ことによくすみわたつた日であるならば
そして君のこころが あまりにもつよく
説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら
君は この阪路《さかみち》をいつまでものぼりつめて
あの丘よりも もつともつとたかく
皎々と のぼつてゆきたいとは おもわないか
金子みすず「積もつた雪」「露」
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせてゐて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面《ぢべた》も見えないで。

誰にもいわずにおきましょう
朝のお庭のすみっこで
花がほろりと泣いたこと
もしも噂がひろがって
蜂のお耳にはいったら
わるいことでもしたように
蜜をかえしに行くでしょう

2010年11月11日木曜日

非キリスト者による信仰論

先日友人から「ブログ時々覗いているよ。でも難しいのはパスしている。」とのコメントをメールで頂いた。
今日書こうとするポストは恐らくパスされる方だろう。
でも書かざるを得ない理由が二つある。

先日ポストした「教理と政治歴史的文脈」から数日後、同ポストで取り上げた『殉教と殉国と信仰と』が著者の一人である高橋哲哉氏からの依頼で、「謹呈」と言うことで出版社から送られてきた。

「えっ、こんなブログでちょっと発言したぐらいで?」
「著書を貰っちゃっていいの?」

と言う訳で、せっかく頂いたからにはちゃんと読んで感想を書く、と言うのが礼儀と言うもの。それが第一の理由。

二つ目の理由は、先日のポストはあくまでメディアによる報告に対する感想であったが、今回その著書(シンポジウムの高橋氏の発題講演部分)を読まさせていただいて、非キリスト者、非信仰者の立場からではあるが、かなり具体的な「キリスト教観」「イエス観」「信仰観」が述べられていたのに驚くと共に、これはやはり一キリスト者として、一信仰者としても、提示された考え方に稚拙ではあっても応えなければならない、と感じたからである。

先ず氏のスタンスは、「キリスト教学や神学の専門家ではない」、「クリスチャンですらない」、が『靖国問題』『国家と犠牲』の著作過程で、「殉教・殉国・信仰」の問題に「出会ってしまっている」ことから迷いつつもこのシンポジウムの招きに応じた、というもの。

先ず氏はその講演において、「殉教と殉国」が単に似ているだけでなく、歴史的に「殉教神学」が「殉国思想」に整合させられてきたことを歴史的に跡付ける(第二次大戦中の日本のキリスト教会、ヨーロッパの十字軍等、戦争に際しての教会人の発言等)。

例えば、日本基督教新報『殉国即殉教』、
もし殉教の意味を、聖書本来の意味に解すれば、それは現在この大戦の真っ只中において、切実に求められているものと言わねばならない。聖書に従えば殉教とは、生命を賭して、福音を立証することである。それはただ宗教闘争に死することばかりを意味しない。生命を賭して福音を立証することであれば、それはみな殉教である。今は国民総武装の時である。我々一億国民は、皆悠久の大義に生き、私利私欲を捨てて、ひたすら国難に殉ずることを求められている。しかるにこの国難に殉ずるところにこそ、福音への立証があり、殉教がある。これは殉国の精神を要する時である。全国民をして、この精神に満たしめよ。
高橋氏はこのような国家の戦争遂行目的に同調した教会人による神学的援用が、「果たして偶然のことであったのかどうか、これをあらためて問い直す必要があるのではないか」と指摘する。

次に高橋氏は、「本来のキリスト教はこう言うものではないか」と言う、氏のキリスト教観を披瀝する。すなわち「愛敵の宗教」で、「敵を殺すことを当然とする国家の戦争(あるいは端的に戦争)における兵士たちの死を、『殉教』としてたたえるものではない」。要するに原理矛盾だ、と言う指摘をする。

次に高橋氏は、カトリックの列福の伝統に論点を移す。「殉教者」を「聖人」や「福者」として、「ある人の死に方について、それがたたえられるべき死であるかどうか、どの程度たたえられるべき死であるのか」、を判定する主体が教会と言う組織であることを問題視する。
この組織による死者の一定の顕彰の仕方が、国家の場合も教会の場合も構造的に同型だ、と指摘する。

氏はさらに、「一個の人の死」について、特に「殉教」のような場面(遠藤周作『沈黙』)において「棄教」や「転向」した人の信仰内容について、一介の人間が踏み込んだ判定や評価はできることなのか、と言う疑問を呈する。
クリスチャンではない私は、イエスの教えの大事な点は、神の愛が、太陽の光のように、あるいは雨のように強者にも弱者にも、富者にも貧者にも、善人にも悪人にも、絶対無差別に注がれる、と言うことではないかと考えてきました。いやそれどころか、むしろ弱者や、貧者や、悪人の近みにこそあって、これを受け入れ、救おうとするものではないか、と。ですので私は、まるで信仰の強さと弱さで人を区別し、前者の功績を特別にたたえるかのような列聖、列福の儀礼に違和感を覚えるのだと思います。
最後のパンチは、顕彰行為は「信仰」のあり方にそぐわないものだ、との認識。
信仰は、むしろ本質的に、人に知られること、有名になること(すなわち名を残すこと)、名誉を得ること、ほめられることを、嫌うのではないでしょうか?神の前に自分を低くする信仰は、他の信仰者に対しても、また世界に対しても、自分を低くすることを望むのではないでしょうか?名を求めない信仰は、誰にも知られず、全くの秘密にとどまることを、むしろ良しとするのではないでしょうか?
さらに秘匿の信仰者の可能性に言及する。
私はクリスチャンではないと申しました。しかし、その私が、じつは隠れてキリスト教の信仰を持っているとしたら、どうでしょうか?私が自分の信仰を神に対してしか「証」せず、他の誰にも秘密にして生きているとしたら、どうなるのでしょうか?クリスチャンとして信仰告白していない人の中に、熱烈な信仰が生きていることなどありえないと、誰が断言できるでしょうか?
そしてユダヤ人に伝わる「メシヤ」のエピソードに見る「incognito(自らを隠すあり方)」と重ね合わせながら、「信仰を誇ると言うこと、それを名誉や栄光や栄転の対象にするということ、信仰をその現れた形によって評価し、ランク付けし、そして信仰の故の死を美化することは、はたして信仰にふさわしいことなのでしょうか?」とたたみかける。

さて、プロテスタントの筆者としては矛先が半分はカトリックの列聖、列福の伝統にあるとは言え、昨今の「教会不祥事、牧師不祥事事件」を考えると、高橋氏の言って見れば清清しい「信仰観」に共感を覚える。ある種の「信仰の美学」的なニュアンスも感じないわけではないが、「信仰の本質」と言うことでは、氏が指摘していることはあながち「非キリスト者」の言論では片付けられない問題提起だと思う。充分「現代信仰論」として耳を傾ける要素があると感じた。

高橋氏のキリスト教・信仰観は、ラジカル・リフォメーション(アナバプティズム)の延長線で見ることが出来るかもしれない。でも基本的に「教会」がなく、ラジカルに「私的」なものであるので、やはりポストモダン的な「信仰のあり方」の一可能性を描いているような気がする。ただ「秘匿の信仰の可能性」が「信仰の非開示性」にあるとすると、そしてそれによってしか信仰の純粋性が保てない、と言う認識であるとすれば、それは「秘匿の信仰」の可能性ではなく、必然性へと導かれる考え方ではなかろうか。
だとすると、そのような信仰のあり方は公的歴史に跡を残さない、と言うことであり、人との関係性における信仰の発露が様々にありえるのに、それを禁欲する理由が絶えず内発的にあるかどうか・・・。その辺がもう一つ形として見えないところではある。

また機会があったら、シンポジウムでの討論について感想を書くこととしたい。

(※筆者と同じように同書を取り上げて高橋氏から上掲書を謹呈されたブログ主がおられる。筆者より丁寧に取り上げているので一読をお薦めする。「関口康日記」

2010年11月10日水曜日

今日は色々あって

いや、ポストの内容のことではありません。
今日一日色々あって更新をあきらめようかなと思っていたのですが、
せっかくだから続けておこうと思い直し、
それで内容が寄せ集めのポスト、と言うことです。

今日は久し振りに床屋へ。
髪が薄くなってくると床屋へ行く回数が減ってきます。
筆者の行く床屋は昔ながらの床屋。
特徴はラジオ放送がつけっぱなし。
「大沢悠里のー」とか言う番組がいつもかかっている放送局に固定してある。
筆者が行く時間帯は大抵「人生相談」をやっている。

今日はいい天気だったですね。
前庭のニシキギが赤く染まって、大体ピークかなーと思い写真を撮りました。
こんな感じです。

読者の方から、カトリックの和田幹夫神父の学才を耳にしました。特に旧約聖書学、死海文書の研究などもお詳しそうです。
現在は箕面教会の牧会(カトリックでは司牧と言うのかな・・・)をなさっているようです。
和田幹夫神父ご自身のサイト
かなり専門的ですが、旧約聖書学に関心のある方どうぞ。
筆者はカトリックの聖書学者でお世話になった、なっていると言えば、Joseph A. Fitzmyer神父(ルカ福音書注解)と John P Meier神父(史的イエス研究シリーズ)かな。

現在読書進行中:
①Jim Belcher, DEEP CHURCH (IVP Books, 2009)
②Gabe Lyons, THE NEXT CHRISTIANS: THE GOOD NEWS ABOUT THE END OF CHRISTIAN AMERICA (Doubleday, 2010)

ベルチャーの本は、「伝統的な教会(福音主義教会が念頭)」と「イマージング教会」のどちらにも問題を感じて、ちょうどその中間の道を探っている。名づけて「ディープ・チャーチ」
イマージング運動(伝統的教会に異議申し立てをしていて、ポストモダンカルチャーに対応する宣教を主張している)の内部者としての経歴と、そこからの距離を取る著者の視点が興味深い。

ゲーブ・ライオンズは「アメリカの新世代キリスト者」②で既に紹介済み。
この本では、自身の立場である「(文化の)リストアラー」のアプローチがどう言うものか、豊富なイラストレーションで紹介されている。(本の副題が示唆するように、大きな文化的変容の岐路に立っているキリスト教国アメリカの衰退を悲観的に見るのではなく、好機と捉えている。)
イントロダクションが、あのビリー・グラハムとの「短い会談」のエピソード、と言うところが少しびっくり。

と、言うわけで今日はバラバラな話題でした。

2010年11月9日火曜日

聖書通読

「聖書通読」とは、ざっと言えば聖書全体をある一定期間に読み通すことである。
一番多いパターンは、一日につき、旧約聖書を二章、新約聖書を一章読み、一年間で旧・新約聖書全体を読み終える、というもの。
場合によっては、二年かけたり、あるいは一年でとか言う期間に拘らずに、読み通すことを目指す人もいる。

「聖書通読」をするのは、
普通のクリスチャン?
立派なクリスチャン?
良い訓練を受けたクリスチャン?
聖書を読むのが好きなクリスチャン?
それとも・・・。

クリスチャンではない方がもし「聖書通読」をしているとしたら・・・。
果たしてどんな理由で「聖書通読」をしているのか聞いてみたい。

筆者が育った教会伝統では通読することを奨励されるが、現在はお互いに通読のことを話題にしたり、聖書通読表を用意したり、などと言うことはしていない。
それぞれの良識と言うか、判断に任されている、と言ったらいいか・・・。

筆者の聖書通読は、受洗した小学5年生頃から始まった。
多分年間で読み通すことは最初のうちは出来なかったと思う。
でも若いうちに聖書を何回かは通読したような記憶がある。

その後献身して、留学し聖書学校、神学校で学ぶようになった後は、さすがに聖書通読は一種の当たり前、と言うかそんなものになった。
まあこの頃になると、デボーションと言って「個人的霊的修練」の一環としてなされるようになっていた。
「聖書通読」は一応この頃から身についたと思う。

その後牧師になってからは、少し工夫をして、どのように年間で読み通すか、章数配分を変えてみたり、旧約と新約との組み合わせを変えてみたりしてみた。

新約の場合だと、マタイ福音書から始まってそのままマルコ、ルカ、ヨハネと読み進めて行く事になるのだが、何か繰り返し同じような内容を続けて読むのもつまらなく感じて、福音書の間に書簡を入れ福音書、書簡と交互になるような工夫をしたみたことがあった。

後は旧約聖書だと、一日二章のパターンに最適とされる、歴代誌下からではなく、モーセ五書から一章、預言書から一章の組み合わせにして見たりとか。

もう一つは新約聖書は一日一章だと早くに終わってしまうので、その後に代わりに詩篇を読んでみたりとか。

一番「聖書通読」に熱心だった頃は、プロテスタントでは正典外である外典(カトリックでは正典に入れられている)文書まで、通読パターンに組み入れたことがあった。

実は、昨年心身のバランスを崩して以来、一切聖書通読をしなくなった。
いや中断した、と言うべきか。
中断して一年経った頃から、少しずつ「また再開しようか」と、自らの気力と相談しながら、でも最近まで再開できずに来てしまった。

現在もまだ「新たに通読しよう」と言うほどの気力はないが、何か変った入り口から再開できないかと考えている。
それは一つに「聖書通読」はどうしても「読み通す」ことに普段の注意が行ってしまい、なかなかテキストに入り込むことが出来ず、忙しい時などは「ノルマを終える」感覚になってしまうからだった。

それでも数日前から開きだした本がある。
旧約聖書の大預言書の一つであるエゼキエル書。
別段はっきりとした理由はないが、却って縁遠いと感じる本を取り上げたのかもしれない。
先日ポストした「活水」に関係ある書であるが、それが理由ではないと思う。

預言者の見た「啓示の幻」を読んでは考えているところである。
幻のイメージの細かいところ(動物の顔とか)ではなく、なぜ「四つの方向に動く」のか。
捕囚の預言者、祭司の子であるエゼキエルにとって、今は離れてあるエルサレムの神殿(既に破壊された後かどうか?)は幻と関連してどう意識されているのか、などについて。

さてエゼキエル書をただ「読み通す」のではなく、テキストに入りながら終章に至ることが出来るのだろうか。
まだ始まったばかりなので分からない。

2010年11月8日月曜日

六義園

当教会から六義園までは直線距離にして200メートルもないと思う。
但し入り口まではゆっくり歩いて十分ほどか。

入園料を払って散策する「六義園」の方を紹介すると・・・、
口で言うのも面倒なので、動画をご覧ください。

最近入園することはめっきりなくなったが、一応落ち着いた、雅な雰囲気も少し楽しめる庭園かな。

その昔、園内に「心泉亭」と言う日本家屋があって、これが安く借りられると言うことで教会の人たちと一緒に使用した事があった。
筆者はまだ子供で余り覚えていないが、お弁当を持って行って会食したような記憶がある。

庭園に隣接する「六義園グランド」は大分お世話になった。
一周100メートル余り位はあるだろうか、まあ小振りのグランドで、野球も出来るようになっている。
当教会の教会学校が盛んなりし頃、このグランドを借り切って何回か運動会をした。
リレーや、綱引きなど一通り運動会らしきことをやったと思ったなー。
子供たちの親たちも加わり結構盛んな運動会だった記憶がある。

当教会が所属する「日本聖泉キリスト教会連合」の他の関東地区教会と対抗運動会をしたこともあった。
懐かしい場所である。

話は全然変るが、中学生の頃、小銭稼ぎの方法としてコカコーラの大瓶を回収して小売店に持って行くと一顰当たり五円だか、十円だかもらえる時代があった。
中学の帰り、友人とこの広いグランドで「コカコーラ大瓶集め」を夢中でやったこともあったっけ。

今は六義園と言えば、回周道路を散歩するのが週に一二度ある程度。
三メートルくらいはあろうか高いレンガの壁に囲まれた六義園の四分の三の回周道路は、散歩する人やジョギングする人で今も賑わっている。
本郷通りに面する歩道は、狭いのに人の往来が多く、歩きにくい。
(でも頑張ってジョギングしている人も結構いる。)

普段は駒込駅に近い「染井門」入り口は閉まっているので、駅を降りて本郷通りを上富士交差点に向かって五分ほど歩き、交差点すぐ手前を右に折れると入り口となる。
この本郷通り沿いには、こじゃれた店やレストランが幾つかある。

最近の思い出は、昨年天に召された母が、がん手術後、リハビリを兼ねて、六義園の周りを半周ほど散歩した夏の日々。
ヒグラシの鳴き声が甲高くこだまする通りを歩きながら、母のペースに合わせてゆっくりと歩を進めていた十分余の時間が今ではいとおしく感じられる。

2010年11月7日日曜日

チャールズ・テイラー「自我の源泉」

今日の朝日新聞の朝刊に、この本の書評(ウェッブ版)が出ていた。
評者はいまあちこちで引っ張りだこの、姜尚中(カン・サンジュン)氏。

実は筆者はこのテイラーの本を3年前ほどに難儀しながら読んで大変感銘を受けた。
その本が邦訳されたわけである。

チャールズ・テイラー「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」(下川潔、桜井徹、田中智彦訳。名古屋大学出版会。9975円)
Charles Taylor, Sources of the Self: The Making of the Modern Identity.(Harvard University Press, 1989)

邦訳され発刊された年数が書いていないが、当然近刊であろう。

本書の書評が出ていること自体に興味を持ったが、評者が姜尚中と言う点でも期待を抱かせた。

読者に親近感を持たせるためだろうか、書評は夏目漱石の「心」についてから書き始めている。
本書を読みながら思い出したのは、夏目漱石のことである。小説『こころ』で、自殺する主人公の先生に、自由と独立と己をほしいままにして現代に生きるわれわれはこの寂しさを味わわなければならないと語らしめている漱石は、近代的な自我の迷路の中で懊悩し続けた。本書には、まるでそのような漱石の苦悩に応えようとする哲学的人間学の趣があるのだ。
まっ、とっかかりとしてはいいか。

でも、
浩瀚だが決して難解ではない本著は、わたしたちが見失いつつある、望ましい人生の意味に伴う畏敬や尊重の感情を取り戻すヒントを与えてくれる。
には、ちょっと違和感を持った。
そもそも「浩瀚」などという辞書でも引かなければ分からない言葉を使うのは如何なものか。(ただの筆者の語彙的無知かな?)
「決して難解ではない」にはカチンと来た。
筆者はこの本を読むのに一度か二度挫折している。
決して単純な本ではない。

議論自体は「現代倫理哲学」に寄与するものであるが、その寄与の仕方が並大抵ではない。
「生命への畏敬」など普遍的倫理的価値として前提されている観念の洞察的内容が倫理哲学上余り突き詰めてその源泉を掘り下げられていないことへの問題提起である。
倫理哲学者たちが行う議論は、元となる部分(洞察、閃き)を掘り下げないまま、それぞれのイデオロギー的立場ですれ違ってしまうことへの不満であり、また自らがその「洞察の源泉」を歴史的に遡ることによって、倫理哲学的議論の浅薄化を救済しよう、あるいは豊かにしようと言う、非常に野心的な試みの書である。

著名な文化人類学者でクリフォード・ギアーツと言う方がおられるが、この方の手法で thick description 「重厚描写」と呼ばれているものがあるが、テイラーは言わば「現代人の自己」がどのような源泉と経路を辿って現在の姿を取ったかを、幾筋もの縦糸、横糸をより分けてその来歴を“分厚く”書き綴っているわけである。
これは大変な苦労を要したはずである。

現代の倫理哲学者が最早意識しない、あるいは無視してしまうような、特に「霊的(キリスト教)」源泉にも目を配っているわけである。例えばアウグスチヌス、宗教改革の影響など。

日本ではマックス・ヴェーバーなどはよく読まれているので、ヴェーバーの描く「近代化の諸相」、あるいは「資本主義の精神とプロテスタント倫理」による「近代の横顔」にはある程度馴染みがある。
ここに言う「近代的アイデンティティ」とは、ウェーバー風に言えば、「西洋近代」に誕生しながら、やがて普遍的な意義を持つに至った自我や「わたし」についての観念ということになる。
と言うのもちょっと違うのではないか。
テイラーの関心は「西洋近代の自己」の描写であって、ウエーバーの言うように「合理化」が西洋から出発し普遍化した、と言う議論と同様に「自己」も普遍化した、と言おうとしているのではないように思う。
(当然「権利主体」のような概念や、その法制化は普遍化したが、テイラーはそのことを叙述しようとしているのではない。)
(まっ、評者は読者に分かりやすくするために用いた例に過ぎないのであろう。テイラーの議論として言っているのではないに違いない。)

むしろ「生命への畏敬」のような洞察はどんな文化にも共通するものとして見ていると思う。

と言うわけで、テイラーの議論・分析に、漱石のような「明治時代の知識人」の問題としての「近代的自我」を分岐的なものとしてくっつけるのは、面白いが、この本の読み方としては余り助けにならないような気がする。

「自己の源泉」が邦訳されたので、A Secular Age もそのうち訳されるのだろうか。
期待したい。
テイラーのやろうとしていることがより見えてくるはずだ。

※それにしてもこう言う本の邦訳本って高額ですね。英書ペーパーバックだったら今ならニ、三千円で買えるだろうに・・・。どんな人が買うのだろう、一般読者でも買うのかなー。

2010年11月6日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月7日 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 14:12-26
説 教 題 「聖徒の交わり」
説 教 者 小嶋崇 牧師

聖餐に関わる事柄(8)

聖餐式を持ちます。
教会暦では「聖徒の日」「永眠者記念日」となっています。
「今を生きる聖徒たち」と、「既に天に召された聖徒たち」が、キリスト・イエスにあって一つであることを覚えたいと思います。
世に残る民 去りし民と 共に交わり 神を仰ぎ
永久の安きを待ち望みて 君の来ますを せちに祈る
(賛美歌「いともとうとき主はあもりて」四節)

2010年11月5日金曜日

福音主義キリスト教と文化

円高の恩恵(と言う軽率な言い方で申し訳ありませんが)で「現代福音主義」に関する本(英書)を数冊買い込んで読んでいる。

残念ながら、英書と言うことで「日本の福音主義」に関連することは殆どない。
よってこれらの読書が何か益があるとしたら、
①世界の福音主義キリスト教の一動向を知る
②それを日本の福音主義キリスト者である筆者が、何らかのレファレンス(参照)として用いる
ことが出来るようにする、・・・あたりではなかろうか。

読了したのは以下の2書
Rachel Held Evans, EVOLVING IN MONKEY TOWN: HOW A GIRL WHO KNEW ALL THE ANSWERS LEARNED TO ASK THE QUESTIONS (2010, Zondervan).

Soong-Chan Rah, THE NEXT EVANGELICALISM: FREEING THE CHURCH FROM WESTERN CULTURAL CAPTIVITY (2009, IVP Books).

①の著者は「アメリカの新世代キリスト者①」で既に紹介した。

②の著者は名前からも想像できる様に、アジア系アメリカ人である。正確に言うと、少年時家族と一緒にアメリカに移住してきた、第一世代韓国系アメリカ人、と言うことになる。


結論から言うと、これら自伝的(レイチェル・エバンス)、あるいは半ば自伝的(ソン・チャン)、な「アメリカ福音主義」の描写は、神学的・信仰的な中身の問題よりも、文化的・社会的な文脈での描写に比重がかかっている。
少なくとも筆者はその様な印象を受けた。

つまり著者のアメリカ(宗教→キリスト教→福音主義)文化との関係によって、「福音主義キリスト教」との取り組みが決定する、と言えよう。
つまり良い意味でも、悪い意味でも「客観的な」福音主義キリスト教問題にはならないのだ。
でも却ってそれが問題への鋭い切口になっている。

だから「アメリカ現代福音主義キリスト教史家」(例えばジョージ・マースデンのような)が書いたような性格の本ではない。
それぞれの自伝的背景から「現代アメリカ・キリスト教福音主義」について論じている本、と言えよう。(但し著者それぞれなりに資料となる著作や統計などを用いて客観化に努めているが。)

レイチェル・エバンスの育った「キリスト教文化」は、バイブル・ベルトに典型的な、今となっては「過ぎ去った古き良きアメリカ時代のキリスト教」である。
昨日のポストにも描いた聖書学校のように、「文化的多元主義の現代アメリカ」においては、最早サブカルチャーの一つになりつつある文化である。
この文化的な「キリスト教福音主義」から、レイチェル・エバンスは内発的な問いによって、次第にこの文化に反発し、相対化させ、現代文化に適合するよう自らの「キリスト教福音主義」信仰を再構築していったのである。
その結果得たレイチェルの立場は、脱「キリスト教国・アメリカ」と言う意味で、カウンター・カルチャー的であり、しかしアメリカの宗教的「文化の変容過程」にあっては、「新世代のキリスト者」と多くの面で共通する問題意識に立つ、やはり「文化的なキリスト教」に位置づけられる。

ソン・チャン・ラーの育った「キリスト教文化」は、レイチェル・エバンスが育った文化に対して民族的にマイノリティーな文化であり、「キリスト教福音主義」の括りでは同じ文化であっても、アメリカ社会における“人種”差別によって位置づけられたものである。
ラーの著書の副題が示唆するように、彼にとって「アメリカ・キリスト教福音主義」はマジョリティーである「西洋・白人」文化が支配する文化的なキリスト教である。

エバンスとラーは共に「キリスト教国・アメリカ」文化に対して異議申し立てをしているのだが、エバンスが異議申し立てしている「キリスト教文化」は大体1960年代までに支配的であった文化で、最早全米的には支配的な文化ではない。
その意味でエバンスが脱出したキリスト教文化はかなり狭いものであったと言える。

ラーが異議申し立てしている「キリスト教文化」は1990年代までに隆盛してきた「プラグマティックなキリスト教文化」であり、アメリカ全体を抱合する「物質主義的、消費社会的、個人主義的」文化の反映としての「キリスト教文化」である。

両著者の相違は、エバンスが自分が育った「キリスト教文化」に時代的後進性を見ているのに対し、ラーの方は自分が育った「キリスト教文化」の持つマイノリティー性が却ってアメリカの将来を拓く可能性を持つ、と言う風に時代的先進性を見ていることである。

筆者としては、ラーが「西洋・白人」が支配している「キリスト教福音主義」の限界をマイノリティーであるアフロ・アメリカ人、原住民族・アメリカ人、ヒスパニック・アメリカ人、アジア系・アメリカ人らから、謙って学ぶことによって克服することを主張している点に感銘を受けた。

アメリカの「福音主義」を分析するのにこれだけ文化的に複雑な要素があるわけだが、翻って日本の「福音主義」を分析するのに、どの程度文化人類学的、社会学的視点が援用されているだろうか。
現在盛んなのは「カルト化」「牧師の権威主義」と言った病理現象的分析のようである。
つまり「教会内文化」の問題が殆どで、教会を取り巻く社会・文化との接点からの「キリスト教福音主義」分析がまだまだ少ないと言うことではないか。
現在の日本の「福音主義」が社会階層的に、ジェンダー的に、民族的に、世代的に、どのような構成になっているのか、そこからどのような問題が浮かび上がっているのか、「少子化問題」「高齢化問題」の向うにある、さらなる文化的・社会的諸問題にどれだけ目配りできるであろうか。

2010年11月4日木曜日

先生の横顔(1)

ブログを毎日更新するのが少しずつ億劫になってきたので、連載ものを用意してみました。

筆者米国で延べ11年半遊学していたので、それなりに色々な方のお世話になってきました。その方々の「横顔」を描写しながら遊学時代を適当に振り返ってみたいと思います。

筆者が最初に目指した学校は米国ケンタッキー州にある、メソジスト・ホーリネス系のアズベリー神学校でした。
大学卒業を控えて神学校に願書を出していたのですが、残念ながら「留学生奨学金」を得ることが出来ず、一年(で大丈夫かどうかは定かではありませんでしたが)、同じケンタッキー州にあるケンタッキー・マウンテン・バイブル・インスティチュート(現カレッジ)で学ぶことにしました。

この学校はバイブル・ベルトにある学校としては極端に保守ではないのかもしれませんが、当時の筆者には充分“超保守”でした。
まあ神学的なことよりも実践的、実際的訓練が主でしたので、“超保守”の内容も、髪の毛の長さとか、服装とか、テレビがないとか、所謂「世俗」的なものから遊離した、と言う意味でのものでした。

キャンパスは、ローリング・ヒルズと呼ばれるケンタッキーの山とまでは行かない丘陵にあり、夕日の光景や自然に恵まれた、まさしく世から隔絶したような環境でした。

少し大学卒の“大人”には、子ども扱いされている不満はありましたが、総じて恵まれた一年でした。
筆者がある意味良い影響を受けた教師は、後から思い出すと心温まる感じの二人の先生でした。

一人は、B夫人先生で、教会史の授業で特に発破かけられました。(鼓舞された、と言った方がいいですかね。)
この方は、女性でありながら、背も高く、背筋をピット伸ばして、いつも指導者、先生であることを誇りにしている風でした。ちょっと“威嚇的”に見間違えなくもないほど勢いを振りまいていた先生でした。

しかし「ボーイズ(男子学生には)」と呼びかけては、「こうあるべきだ」と言う正論を正々堂々何のてらいもなく展開する、聞いていて気持ちの良い語り口でした。
切符がいいというのか、歯切れがいいというのか、自然と「そうだなー」と思わせる説得力のある先生でした。

このB夫人先生が、男勝りに見える先生だったのに対し、もう一人のD先生は、物静かで、物腰柔らかく、謙遜な方で、殆ど人をどっちかに導こう、何ていう色気を持ち合わせていないような、それでも先生でした。
クラスで教えている以外の時は、野菜畑でひたすら土いじりに精を出す農夫然とした方でした。

枯淡の味と言うか、人生の酸いも甘いも通り越して、何か少し超越した感じの方でした。
この「世から隔絶した環境」にあって、さらに超然とした風は、でも近寄りがたいと言うのではありません。
その逆で男子学生たちは、何か「おじいちゃん」みたいな親しさで接っしていました。
言葉よりも背中で人を教える方でしたね。
何よりも人格的な感化が大きかったと思います。
(逆を言うと、他の先生たちは学生たちがバックスライドしないように、時にヒステリックな感じで接していたので、D先生の寡黙な態度は、学生たちに安心感を与え、信頼感を与えたのだと思います。)

結局一年だけでしたが、ちょっと堅物だけど純粋な方々(中にはそれは少しバランスに欠けたような方もおられはしましたが)に囲まれ、また物珍しい留学生の特権として、他の学生たちの好奇心の的として、英会話を磨いて頂いた「聖書学校」時代でした。

Kentucky Mountain Bible College

2010年11月3日水曜日

木片

今この文を書き始めたところだが、まだタイトルが付いていない。

書きながら後でタイトルを考えようと思う。

今日は「オープン・チャーチ」で、朝から忙しかった。
教会の方々が寄せてくれた、俳句、書、写真がメインで、それ程見るべきものが沢山あるわけではない。
何となく「どうぞお入りください。」と声を掛けるには気が引ける部分もあった。

それで、道路に面してテーブルを置き、ミニバザー的趣向で物を置き、道行く人が目に留めるようにしてみた。
会堂と工房と、両方「オープンチャーチ」としたわけだが、工房の方からは「木片」を引っ張り出してきて置いた。

工房をやっていて困るのは、実はこの木片なのである。
なるべく効率的に一枚の板から「木取り」するのだが、どうしても余りが出てしまう。
よっぽど細かいのは捨ててしまうが、ある程度のサイズになると、しかも良材だと、なかなか捨てられない。
それで取って置くわけだが、だからと言ってこれら木片で何か作るには頭をひねらなければならない。
それに材料が細かいので、何かを作ろうとしても結構精密な作業が要求される。
結局たまって行くのを眺めるだけになってしまう。

それでふと、この木片をただで提供してみよう、と思いついた。
テーブルの上にダンボールの箱を置き、木の種類や形状に分けて置いてみた。
杉、桧、秋田杉、ポプラ、桜、栗。

11時開始であったが、それより大分前に「無料」の張り紙を出しておいたら、早速通りがかりの叔母さんが目敏く桜の一番良い板を持って行ってしまった。
あわてて「無料」の張り紙を開始時間になるまで引っ込めた。

時間開始と共に何組かの自転車で乗りかかった親子連れが立ち止まった。
そしてあれこれはこの中身をひっくり返していた。
聞いてみたら、鍋敷きとかにするみたい。
子供は子供で積み木感覚で、「あの板、この板」と組み合わせながら何やら作るものを考えているみたい。

(ここでタイトルが「木片」に決まった)

「こんな木片、持って行く人なんかいるのかなー」と思っていた。
蓋を開けてみたら意外と子供たちが興味を示すのに驚いた。

なぜだろーと考えてみた。
子供たちの身の回りには案外「素材としての木」がないのではないか。
それで新鮮に映るのではないか。
あるいは「積み木」で遊んだ感覚が残っていて「木片」に親しみを感じるのではないか。

箱の中が少なくなったので、後からまた木片を追加した。
その中には希少な「青森ヒバ」も入っていた。
幸か不幸か、工作の材料にするか何にするか分からないが、「木」を見る人たちの目は形状か大きさまでで、木の種類までには及ばない。

今日の「オープンチャーチ」はそれ程来場者があったわけではなかった。

奇しくも「木片」を介して一番多く地域の人たちとの接点を得ることが出来た一日だった。

2010年11月2日火曜日

正典の意味

「聖書正典」、と言われたら何を思い浮かべるのだろうか。

「正典」として認められた文書の数の事だろうか。
それとも「規範」としての役割の方だろうか。

大抵の場合、二つの意味は別々にではなく、一緒のものとして意識されているのではないだろうか。

正典とは、カノンとも言いいます。ものごとの基準、規範となるものという意味です。ですから、聖書正典といえば、キリスト教信仰の最高の規範になるものという意味です。教会が正典と認めているものを、まず挙げておきましょう。旧約聖書は46書、新約聖書は27書あります。
(本のリスト省略)「ラウダーテ」サイトの「聖書の正典」解説
プロテスタントの読者は、「旧約聖書は46書」に「あれー」と思ったことでしょう。
ラウダーテはカトリック女子パウロ修道会のサイトです。
カトリックとプロテスタントは「旧約聖書正典」に関して異なる見解を持っているのです。


さて、今日のポストは「正典とは何ぞや」と言うような難しいことを長々書くつもりはありません。
ごく短く「えーそう何だー」と言うことを一言付言するだけにとどめたいと思います。
(長く書くだけの知識もないし、時間もない。あしからず。)

結論から言うと、「正典」の語源「カノン」は「リスト」を意味します。
ですから、「聖書正典」とは、教会が“ある目的”(『恩寵』と『救い』)のために必要とした文書のリスト、を意味します。
教父時代の教会が「リスト」として定めたものは、「聖書」だけでなく、
 「信条」
 「司教」
 「教父」
 「イコン」
 「典礼」
 「聖典(サクラメント)」
などがあります。

しかし、長い教会歴史の中で、特に(スコラ)神学が発展するうちに、「聖典」に数えられた聖書が、
“本来の目的”とは別に、「ものごとの規準・規範」と言う理解が進展します。

特に「真理の規準」としての「聖書聖典」と言う意味で発展します。
この「正典」理解は、さらに啓蒙主義時代を経過して増々強化されます。

その結果、「聖書」は「“正しい”教理」の源泉とみなされ、「組織神学」が支配的神学方法となっていきます。

その結果、殆どの「組織神学」書は、その序論・緒論(プロレゴメナ)に聖書論(啓示論、霊感論、権威論)を据えるようになったのです。

と言う「聖書正典」観の歴史的再構成をしてくれた書が、
William J. Abraham, Canon and Criterion in Christian Theology: From the Fathers to Feminismです。


筆者が「目からウロコ」の経験をした神学書の中でも10指に入る本です。

買って読もうと言う人はなかなかいないでしょうから、ちょっとした著者紹介と著書のミニ書評があるリンクを載せて終わりにします。

 ・The Ivy Bush on "William J. Abraham"

2010年11月1日月曜日

活水

自分でもいつ頃からこの言葉を意識しだしたのかは今となっては思い出せない。

とにかく「活水」と言う言葉が好きである。

どっちが先かは分からないが、最初に「活水」と言う名前に触れたのは、日本における「ホーリネスの三つの流れ」の一源流であるバークレー・バックストンの流れを汲む、
柘植不知人(1873-1927)が始めた『活水の群れ』、か
あるいは、高校の時修学旅行時訪れた長崎市街を歩いていた時、オランダ坂だったか、途中間違って入り込んだ学校が女子高で、名前を『活水女学院』と言った。

筆者が最初に「活水」と言う名前を用い始めたのは、巣鴨聖泉キリスト教会の季刊「教会ニュースレター」だった。1991年だった。
教会ニュースレターは今も同名で続いている。

次は大分時間が経つが、アパートの一室を工作室にしつらえ、木工遊びを始めた時。
まだとても「工房」とは呼べないようなスペースだったが、木工教室を始めるにあたってであったろうか、何か名前を付けた方が良いと思い、「活水工房」とすることにした。

現在の活水工房は教会隣の平屋の貸家を去年大幅改装して16畳大のスペースである。
かなり工房らしくなった。
以前使っていたアパートは、やはり去年大幅改装され、「活水荘」と名づけた。

こんなわけで「活水」と名のつくものに囲まれて暮らしている。

それだけではない、初めの頃のポストで紹介した「教会パンフレット」を作成する時、グラフィック・デザイナーの方に教会ロゴをお願いしたのだが、その図案も「活水」であった。

と言っても、「活水」と言う語からロゴをイメージしてもらったのではなく、二年前に完成した、会堂正面の縦長窓に嵌め込んだ、ステンドグラスのデザインをそのまま活かしてもらったのである。

このロゴはパンフレットだけでなく、現在は筆者が発信するツイッター、SugamoSeisenのアイコンにもなっている。(このページの左側にツイートが表示されているが、その一番上にロゴを使ったアイコンが見える。)

これだけ使っていて、改めてその意味の深さに驚くことがある。
最初は何となくキリスト教的な語・イメージとして余り深く考えずに選んだのであるが、
教会ニュースレターに用いた時は、ヨハネ福音書7章38節
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(新改訳)
を念頭にしていた。

しかし、二年前に製作して頂いたステンドグラスの方は、エゼキエル書47章1-12節に描かれている、神殿から流れ出る川、その川の流域は命に溢れる、と言うイメージから作られた。

筆者はエゼキエル書の幻、イメージが何箇所にもわたって、「エデンの園」を想起させるのに気が付いたかことがあったが、「活水」のイメージはこのように「聖書の初めから、終わりまでを俯瞰する壮大なもの」であることに思いをいたすようになって驚いたものである。

御使はまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(黙示録22章1-2節、新改訳)
我ながら良いネーミングをしたな、と思っている。