2013年12月31日火曜日

明日の礼拝案内

元旦礼拝

2014年1月1日(水) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「キリストの平和」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※1月5日(日)の主日(日曜日)礼拝はお休みとなります。

2013年12月28日土曜日

明日の礼拝はありません 

12月29日(日)の礼拝はお休みとなります。

次は
2014年1月1日の元旦礼拝
となります。

時間は通常と同じ、10時30分~

また、1月5日(日)の礼拝はお休みとなります。

以上年末年始、礼拝は不規則となりますのでご了承ください。

巣鴨聖泉キリスト教会
牧師 小嶋崇

2013年12月26日木曜日

(5)ブログ上での「高いキリスト論」討論

以前、「史的イエス」と「史的キリスト」でもラリー・フルタド教授のことを紹介した。

フルタド教授のブログについては、英語圏ブログ紹介④でも取上げた。

最近のフルタド教授のブログ記事で面白かったのは、

Larry Hurtado 2013/12/18

アンドリュー・チェスターのHigh Christology - Whence, When and Why?と言う論文を紹介した記事、
Larry Hurtado 2012/12/12

にコメントを加え、現在の「高いキリスト論」研究における学者たちの立場を三つにまとめて紹介している。

最も面白いのは、一年前に遡って、最初にアンドリュー・チェスターの論文を紹介した記事だ。
原初期から高いキリスト論だった、が主流になりつつある

世界的な学者のブログが起し得るハイレベルな討論が、「コメント」セクションに展開している。
これを読むだけでもエキサイティングだ。

何しろコメントを入れている顔触れが凄い。

①ゲザ・ヴェルメシュ
②リチャード・ボウカム

特にボウカムは繰り返しフルタド教授とやり取りしている。
そこにはボウカム教授の(未完の)「高いキリスト論」研究集大成についての展望も書かれている。

如何にイエスが一神教の背景を持つユダヤ教から、「神」として崇拝されるに至ったかを歴史的に探求することに関心のある方は、是非この三つの記事とコメントを丹念に読んで頂きたい。

ブログでどの程度ハイレベルのことが出来るか、立証するものではないかと思う。

2013年12月21日土曜日

明日の礼拝お休みの案内

待降節第四主日

巣鴨聖泉キリスト教会での礼拝はありません

12月24日(火) 夕7時~
キャンドルライト礼拝

が年内最終集会となります。

12月29日の礼拝もお休みとなります。

2014年1月1日の元旦礼拝がスタートとなります。
時間は通常と同じ、10時30分~


以上年末年始礼拝は不規則となりますのでご了承ください。

巣鴨聖泉キリスト教会
牧師 小嶋崇

2013年12月20日金曜日

(5)特秘法 落ち穂拾い

久々の「難易度5」です。

断って置きますが、今回の場合は筆者が『特定秘密保護法(以下「特秘法」と省略)』(特秘法全文)について余りよく知らないために、ここで書くことは中途半端な感想でしかないために、読者にとっては筆者の意図とか内容とかを把握するのが難しいだろうなー、と言う意味で「難易度5」です。

そもそもあちこちで「法案反対」ののろしがあがり、国会前でのデモがニュース映像で流れるようになるまで、筆者はこの法案に対してほぼ無関心、無頓着でした。

国家安全保障体制(NSS)整備の一環として、特に同盟国アメリカからの「インテリジェンス供与」を受けるための法整備として、現行の国家公務員法を上回る厳罰を伴うもの、が目指されているらしいことを、今頃ニュー・ヨーク・タイムズ(10/30記事11/29記事)で読んでいる体たらくであります。

そんな具合ですから、特定秘密保護法案に反対する牧師の会の賛同署名活動の案内が回ってきても、反対理由の文面を読んでも、そもそも「特秘法」自体の内容を知らないわけですから、賛同署名には躊躇を覚えて現在に至っているしだいです。

かと言って何も発信しないでいたわけではなく、ちらほら「反対」っぽいことをツイートはしていましたが・・・。

この法案に対しては様々の分野の識者の方々が「言論の自由」を制限したり、政府の権力濫用に道を開くものとの懸念や危惧を表明していますが、その「感じ」は法案の内容そのものからだけではなく、法案成立を急ぐ与党の国会審議の様子からも、与えるものです。

これに石破幹事長の「デモはテロ」発言が追い討ちをかけましたね。


さて、特定秘密保護法案に反対する牧師の会には筆者の知人も多く署名しています。

また逆にこのような抗議行動に対しての疑念や批判も数人の牧師から提出されています。

こちらの方が圧倒的少数ですから敢えて紹介すれば、
のらくら者の日記
羽村の風

両者とも共通点は議会制民主主義の観点から、急に「法案に反対する」活動を、政治決定のプロセスに対して無責任な態度ではないか、と言う批判をしていることだと思います。(法案の是非についてではなく。)

特に前者の方は「小選挙区制度下で二大政党が競り合う」形の議会制民主主義のあり方の観点から述べているので、その批判はより的を射ているように思います。

ただ二者に対して思うことは、確かに議会制民主主義の下で市民が与えられている政治決定の基本的行動である「投票」にもっと顧慮すべきである、と言う主張は分かるのですが、市民的政治活動としてデモや声明や署名活動という日常的なものも無視すべきではないだろう、と言うことです。

(もちろん二者がそれらを否定しているとは思いませんが。但し、これは蛇足だが、国民主権の立場からは、不断に国民が政府のしていることを監視しているようでなければ、急な反対声明や抗議行動はなかなか説得力のあるものにはなりにくいだろう。)

今回の「騒動」で筆者が一番感じたことは、「国会審議」の質がやはり肝心ではないかな、と。

この法案の「秘密指定」に関する第三者機関の設置が、審議の途中から取って付けた様に出てきたところをみても、特秘法が国民の知る自由に対しては概ね無頓着な「不備」なものであることが露呈されたように思います。

また「国家の機密保持」に一定の理解を示した上で特秘法を論ずるかどうかも、自衛権の問題を含めて、キリスト者の国家観が問われる問題であったように思います。
今後も継続する課題なのでしょうが。

と言うわけで、ドラマの後の落ち穂拾いのような記事でした。

2013年12月14日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第三主日 クリスマス礼拝

12月15日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカの福音書 1:39-56
聖書黙想 「胎児が喜びにおどる」「大逆転」
説 教 者 小嶋崇 牧師



2013年12月9日月曜日

(2)最近『テロ』呼ばわりが気になる

久し振りの「難易度ランキング」付きの投稿です。

皆さんご存知先日可決した「特定秘密保護法」ですが、国会周辺に集まったデモの人たちを「テロ」と見立てた自民党石破幹事長の発言はまだ耳新しいことと思います。
「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」
と書いたブログ記事は、その後削除され訂正記事が投稿されている。
そこでは、
 「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。 
と説明し、「テロ」と言う表現を引っ込めた(リンク)。

少し興味を惹いたので一つ二つツイートしたが、改めて「テロ」の定義を考えさせられた。

そうしたらまた別のことで「テロ」という言葉にぶつかった。

あえて曖昧な描写にする。

と言うのもこの「事件」はなかなか客観的に捉えるのが難しそうだし、その内容よりも「テロ」と言う表現に触発されてのことなので。

日本のとあるキリスト教系メディアに関する「事件」でのことだ。

あるブロガーがこのメディアをあることで批判・追及し裁判となった。
最近その判決が下りた。
ブロガー氏の敗訴だ。

メディアの方はそのことを記事に取上げ、ブロガー氏の「サイバーテロリスト」としての活動を改めて印象付けた。

ここでも「テロ」が出てくるわけだ。

3番目は、つい先日亡くなったネルソン・マンデラ氏についてのことだ。

世界中がマンデラ氏の訃報に触れて、故人を称えるコメントで終始しているのをある方がちくりと批判した。

ここでも敢えて名前もリンクも出さないことにしよう。

北米最大プロテスタント教団の有名人物のブログ記事にその批判を含んだ教訓的記事が出ている。

一言で要約すれば、
マンデラ氏は偉大な指導者としての業績を残したには違いないが、彼の人生を冷静に総括すれば、その政治的出自において、「テロリスト集団」に属し、そして事実彼は「テロリスト」であった。
と言うものである。

「テロ」と言う表現は、石破発言のように多少レトリカルに使っている場合もあれば(※訂正記事ではそのような説明になったが、案外本気でそう思っていたと取る事もできるかもしれないが)、「国家」とか「政治」に殆んど関係なく、ネット上の個人攻撃を非難する時に使われてもいるようだ。

特定秘密保護法でも、石破発言によって改めて「テロリズム」の定義の難しさが浮き彫りになったばかりだ。

厳密に「国家」を威嚇する暴力的行為としてのテロリズムをはるかに越えた「日常的」場面でも、結構簡単に「テロ」という表現が使われるようになっている。
それが現状なのかな、と思わされている。



2013年12月7日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第二 主日礼拝

12月8日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ローマ人への手紙 1:1-7
説 教 題 「肉によればダビデの子孫」
説 教 者 小嶋崇 牧師

2013年12月5日木曜日

ピアノ調律

もう12年前になるが、会堂建替えの時、ピアノも新調する事にした。

幸い設計を担当してくれた今井俊介氏が、ピアノもなさる方だったので、ヤマハ総合特約店サクライ楽器まで一緒にピアノを探しに行ってくださった。

その時出会ったのが、ヤマハのG3だった。

中古だが、前オーナーが音大の学生だった(らしい)ことで、すべての音階でのばらつきが少なく良いコンディションと言うことだった。

要するに中途半端なオーナーだと、弾く曲が中音域に偏る傾向があるが、音大生だとより広範囲を弾く機会が多くなり、それだけ弦の使用頻度のばらつきが少なくなる、ということらしい。

購入以来、毎年1回サクライ楽器所属のベテラン調律士、Yさんのお世話になっている。


1年1回の顔合わせだが、毎回不思議に「何かこの前会ったばかり」のような気になってしまう。

仕事の邪魔にならない程度に、始まりと終わりの時、暫くおしゃべりをする。
今回は私の方から話題を振った。

朝日新聞の日曜版にグローブという特集がある。
11月17日は、ピアノは鳴り続ける、と言うテーマ。

てっきりYさんご存知かと思ったら、そうではなかったので、引っ張り出してお見せしたら、

「ああ誰々さんだ」

とか見知った方の名前を挙げたり、興味津々の様子。
せっかくなので差し上げた。

後で仲間にコピーしてあげるとのこと。

最近は調律の仕事だけではなく、あっちこっち講演・ワークショップの講師に呼ばれたりしているそうだ。

昔のような職人徒弟制度における技術の習得(見て覚える・盗む)ではなく、手取り足取り言葉を使って教える必要があるとのこと。

調律の仕事は全然疲れないが、講演は疲れる、と。

最後に専用布でピアノを撫で回すように拭き磨いている姿を見る時、「あー、Yさんにとってはピアノは子供のようなものなんだな」と思うのだった。


2013年11月30日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第一 主日礼拝

12月1日(日) 午前10時30分

朗読箇所 テサロニケ人への手紙第一 2:1-16
説 教 題 「ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように」
説 教 者 小嶋彬夫 牧師

《説教メモ》
パウロの働き-福音の宣教
1.根元は神との交わり
2.現出は聖徒の交わり

2013年11月27日水曜日

クリスマス・リース作り

次の日曜日から待降節となります。

日本ではクリスマスは殆んど国民的(?)行事。
リースを飾ったり、作ったりする人も増えているような印象です。

当教会と関係の深い、ご自宅でフラワー・アレンジメントの教室を主宰しているY田さんを講師に「クリスマス・リース作り」 教室が、11月9日(土)持たれました。

台となる輪っかは、教会の前庭に生えている白樺の枝を使いました。

約10数個の台を用意するため、大分枝を切りました。

直径約30センチ弱の台を作るには長さにして1m強の細い枝が必要ですが、一つの台に最低でも10本近く要ります。

そして枝を束ねて台の形に整形するまでが割りと時間がかかるので、これは事前に準備。


当日はこの台に葉っぱや木の実やオーナメントなどを付けて行く作業。
殆んどがナチュラルな素材ですから、その辺で売っているリースとは一味も二味も違います。


午後1時開始で、約2時間で完成しました。

完成後はお茶をしながら少しおしゃべり。

参加なされた方々、楽しいクリスマス・シーズンをお過ごしください。

2013年11月25日月曜日

召天者記念礼拝

最近更新が減っているので、簡単ながら今月の過ぎし事柄を幾つかメモ風に書きつけておこう。

2013年11月3日
召天者記念礼拝

巣鴨聖泉キリスト教会(前身のインマヌエル時代も含めて)にとって初めてのことでした。

教会墓地もなし、召天者も教会のサイズに比例して少なく、余り注意を払ってこなかったため、これが初めてと相成りました。

礼拝では6名の召天者について、教会の歴史と合わせながら思い出が語られました。
礼拝後の茶話会でも、色々と故人を偲ぶエピソードが語られました。



やってみて思うことは、以下に仏教と比較して「物故者(召天者) 」に対する宗教的儀礼が(プロテスタント、しかも当教会と言う例外的ケースだが)なさすぎるか、ということ。


キリスト者の葬儀の場合は、一種の「証し」とか「伝道」と言う角度からその内容を考えたりすることがあるが、それ以後はなかなか「アフターケアー」をさぼりがち。

そこ行くと(余り詳しく知らないが)仏教は「法事」がお寺の宗教的行事の中心的なもの(?)として営まれている。

これは教役者の見識にもよるのかもしれないが、筆者のような「クリスチャン家庭」に育った者には、召天後は最早「思いの中」にはいても、具体的な場所(墓所)や所作を通して「故人と思いを交わす」みたいなことはないので、自然とドライになりやすいように思う。

まっ、日本人の心性にとっては墓前報告みたいに「(故人に)話しかける」文化は大切なのだろうな。

そんなこんなを考える機会となりました。

2013年11月23日土曜日

明日の礼拝案内

収穫感謝 主日礼拝

11月24日(日) 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き14:8-16
説 教 題 「賢い管理者」
説 教 者 小嶋崇 牧師


※昼食会があります。

2013年11月22日金曜日

大和郷の変容

巣鴨聖泉キリスト教会のHP『プロファイル』で「大和郷」としてリンクを貼っていた「巣鴨百選」サイトがいつの間にかなくなっていた。

現在「大和郷」で検索しても出てくるのは大半が住宅情報。
盛んに「高級住宅地」とか「セレブ」とかの言辞を操って広告しているが、最早現在の大和郷には往年の「閑静な住宅地」の面影は少ない、と言ったら言い過ぎだろうか。

大分前から相続税対策で敷地が分割され、庭の少ないハウスメーカーによる住宅が増えてきただけでなく、会社・企業などが入り込んできている。

それに低層階とは言えマンションも増えた。

そんな最中昨年の4月頃だったか、急遽持ち上がったのが「納骨堂ビル建築計画」だ。
場所は大和郷と言っても巣鴨駅に近い場所で暫く空き地となっていたのだが、台東区だったかにある寺が、恐らく「建築屋(デベロッパー)」のような会社と手を組んで企画したものだろうと思う。

たちまち反対運動が立ち上がり、大和郷会、巣鴨一丁目会、それに近接する学校である大和郷幼稚園や文京学院などが協力して、建設反対署名運動を展開し、結果その建築計画は立ち消えとなった。

現在はその土地にマンションが建とうとしている。


これが新聞折り込み広告。
大和郷全体が入る航空写真だか、合成写真だか・・・。



当教会も辛うじて認識できる。
(画像中央緑の向こうに見える建物。緑は児童公園の欅だろう。)

庭を持った低層住宅が「ブランド」の基礎だろうに、それを広告文に最大限利用して、みすみす「良好な住宅景観」を破壊していくマンション業者には「なんだかなー」である。




2013年11月20日水曜日

自由学園明日館がテレビ番組に登場

先日ご紹介した自由学園明日館がテレビ東京の番組で取上げられるそうです。


美の巨人たち

放送日:11月23日(土) 22:00~22:30 

11月23日は、フランク・ロイド・ライトの「自由学園明日館」。空間作りの魔術師が、初めて手がけた小さな学校。建物の随所にちりばめられた、仰天の仕掛け。そして日本の子供たちに残した、ライトのメッセージとは?お楽しみに…。(サイト紹介文)

ご関心ある方はどうぞお見逃しなく。
 

2013年11月16日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月17日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「兄弟の輪、祈りの輪」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(118)
コロサイ・ピレモン(21)

2013年11月13日水曜日

簡単調理試してみた!

先日NHKの「ためしてガッテン」でパスタ簡単調理法をやっていた。

それはパスタを予め水に浸けておく、と言うもの。

するとパスタが水分を吸ってグンニャリとなり、それを具材と炒めるなどすれば、パスタに火を通すのは1分程度でオーケーというもの。

これはやってみなくては、と思い先日試してみました。

アメ横で買った安目のパスタ(通常はディチェコを使うのですが)でやってみました。

テレビではパスタの太さにもよりますが、20-40分位でグンニャリとなるはずなのですが・・・。

1時間経っても殆んどそのような状態には変化せず。
むしろ少し小麦粉が水に溶けてきているように濁っています。

結局気を取り直してゆで直し、調理しました。

どうやら失敗だったようです。

なぜだか考えてみたのですが、思いつくのはパスタの値段と、開封して暫く時間が経っている、ということだけ。

どうなんでしょうね・・・。

ちなみにその時の番組の内容はこちらです。

話題替わって今度はゆで卵

先日朝日の投書欄にこういうのがありました。


ゆで卵ってあの薄皮むくのが面倒ですよね。
ツルンとむける時もあるけど、むけない時はイライラします。

やれっ茹で上がったらすぐ水に入れろ。
水に入れる前に殻をある程度割っておく。

くらいのことは試したことはありますが、だめな時はダメです。

この投書を読んで早速やってみることにしました。

沸騰した湯にゆっくり卵を入れ5分ほど茹で、後は火を止めて2分鍋の中に入れておく。
それから取り出して水に入れ3分冷やす。

それだけ。

あーら不思議、本当にするする皮がむけました。

お試しあれ!

2013年11月12日火曜日

鎖国の影響が強い

時々図書館へ行って本を借りてくる。

豊島区には区立の図書館が7つくらいあるが、筆者が住む場所から一番近いのは「駒込図書館」だ。
JR駒込駅のすぐそば。

先日、日曜日の午後、散歩の帰りに駒込図書館に立ち寄った。

ちょっと気になっていた本があったので、書架から探してみたが見つからず、たまたま目に付いた、ドナルド・キーン対談集『日本の魅力』を借りてきた。

出版されたのはもう30年以上前、1979年だ。

ドナルド・キーンと言えば、東日本大震災以後、終の棲家を日本に選び、現在東京都は北区に住んでいらっしゃるご様子。
筆者の毎週の散歩コースに入れている霜降銀座商店街でもその姿を見かけたことがある、と誰かから聞いたっけ。

本に戻って、対談集と言うことで色んな方々との対談が載っているのだが、その中で加藤周一との対談もあった。
二人とも外国に長く住み、外国語が堪能な上、文学を専門にしているということで、そのあたりが面白いかなと思って読んでいた。

俳句の話題になって、キーンさんはこんなことを言っている。
日本人は今でも、鎖国の影響が強いと思います。日本人は鎖国は悲劇だと思っていても、アタマの別のところでは、外国人は日本のことは知ってはいけない。知っては困るという考え方があると思います。お箸を使えないような外人を歓迎しますし、尊敬します。お箸を上手に使えるような外人は、変な外人です。言葉を上手に使える外国人は、外国人らしくない外国人で、あんまり尊敬されていないのです。それは不安を感じるからです。自分に、他の人にないようなものがあると言う事を信じたいと思うのではないでしょうか。それは一種の悪口のように聞こえますが、各国にその国独特の精神的弱点がありますが、日本人の場合、鎖国の遺伝というものがあると思います。(62-3ページ)

これを読んで思うのだが、筆者は北米に少々長く住んだが、よほどの田舎でもない限り外見だけで「外国人」と見定められ、英語で話すのをゆっくりにしたり、加減したりなどと言うことは余りなかった。
生活している限りは「英語をしゃべる」のは「外国人」でも当たり前、ということだ。

しかし日本ではどうかと言うと、「外国人」は日本語を話せないことが前提になっている風だ。

但しこの流れで言う時の「外国人」とは、大体が「白人」だ。
(特にアジア系だと外見上見分けが曖昧になるので、微妙な距離感の「外国人」にされてしまいやすいと思う。)

道ですれ違う白人外国人に、たどたどしい日本語で道を聞かれて、わざわざ拙い英語で答えようとする日本人は多いのではないか。

また白人外国人がちょっとだけ日本語が出来ると、えらく感動して「お上手」などと評したりするのも良くあることだ。

確かに余りにも日本語が好く話せる「外国人」は少なからず警戒心を覚えるのではないかと思う。
キーンさんがそれを「鎖国の遺伝」と呼ぶのはいささかどうかと思うが、しかし案外鎖国のメンタリティーと言うのはどこかで受け継いできてしまっているのかもしれない。

ちょっと飛躍するが、日本語がぺらぺらな外国人に対する警戒心と、よく言われる日本人の英語コンプレックスとは表裏一体の関係ではあるまいか・・・。

2013年11月11日月曜日

大台到達

昨日から今日にかけて、通算ページヴュー数が10万を越えた。

ブログをやっている人には1つの目標か、とも思ったのでご報告申し上げ、同時にこのブログを訪れてくださる読者の方に一言お礼を。

ブログ開設2周年(2012年7月3日)の時点で、総ページヴュー数が「55,400を越えたところ」とあるので、2年経たずにほぼ同じ閲覧数を達成したことになるが、振り返ると、ブロガーとしては段々力が落ちているのに・・・と反省の方が多い。

何とか続いているので近未来に「ゾンビー・ブログ」になることはないと思うが。

ご報告だけでは物足りないので、ページヴュー数の高い順から記事を紹介してみようと思う。

左側コラムに「人気の投稿」としてベスト10は表示してあるが、調べて見るとこれは余りアップ・ツー・デートではないし、正確でもない。

佐藤優「キリスト教神学概論」・・・2180
北川東子と教養・・・2099
牧師と言う職業・・・1403
自然災害と宗教的解釈・・・1143
福音派は今どこに?・・・1014
王なるイエスの福音・・・916
「ホットスポット巣鴨」のその後・・・910
ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ・・・776
信仰の他流試合・・・728
これで説教?・・・592

と言うわけで左コラムのベスト10には出ていなかったニューパースペクティブ・オン・パウロが意外にも多かったことが判明しました。

以下ベスト11-20まで紹介しておきます。(20位が2つなので21になりますが。)

11. リチャード・ボウカム「イエス入門」・・・510
12. チャールズ・テイラー「自我の源泉」・・・498
13. ハーメニューティックス(解釈学)・・・478
14. 巣鴨がホットスポット?・・・448
15. 自然災害と終末論的解釈・・・443
16. ジョン・ストット(1921-2011)・・・418
17. お一人様クリスチャン・・・395
18. 「福音の再発見」発売・・・375
19. 牧師の独身・・・368
20. 公共の神学・・・349
20. 主に神学ブログ1・・・349

というわけでした。

2013年11月10日日曜日

(3)「福音」の捉え方

最近は神学的な話題はこのブログではご無沙汰していますが、担当しています他のブログではそれなりに書いています。

それで久々に「難易度」を付けてみましたが、それはこれからご紹介する記事の方の内容です。

先ずは記事の方ですが、スコット・マクナイトの「福音の再発見」ファンサイトに先ほど投稿しました。
こちらの記事。

また難易度はグンと上がって(5)になりますが、N.T.ライト関連で『イエスの復活の身体①』 と『イエスの復活の身体②』、をN.T.ライト読書会ブログの方に書いています。

と言うわけで、最近更新が少ない「言い訳」でした。

2013年11月9日土曜日

自由学園明日館

以前から「行け、行け」と言われていたのが自由学園明日館。

設計がフランク・ロイドロライトによる、と言うのは有名で、池袋にあるから簡単に行けるのだが、なかなか行く機会を得なかった。

11月4日、文化の日の振り替え休日(と言っても筆者のような牧師には休日かどうかは余り関係ないが)、お昼を先日ご紹介したル・ピラートで済ました後、行きました。

と言うのも「招待券」があったのだが、有効期限がこの日だったわけだ。

都内なので幾らか広々とした敷地に見えるが、建物もそれほど大きいわけではない。
いやむしろこじんまりとした感じ。

館内に入ってみて先ず木造建築の居心地よさを感ずる。
と言っても大谷石もふんだんに用いられていて、石と木のハイブリッド建築と言った感じだ。


これは教室に用いられていた部屋だが、天井の勾配が下に降りてくる、と言うかこの角度をつけた天井の味わいが壁や窓や建具などの様々な小さなスペースのデザインに移されてきている感じ。


筆者も「活水工房」を建てた時、設計士が筆者が自作するようにと、合計6枚のドアのデザインをしてくれたが、それには1-2箇所角度が付けられていたのだが、これがなかなか作る側からすると厄介なのだ。

部材をカットする時ピッタリ寸法ではないため、少し余裕を持ってカットした後、少しずつ削っていって、最終的にスポッと入るように調整する。とても時間と根気が要るのだ。

しかしこの窓のデザインはそんな筆者から見ると滅茶苦茶ややこしい。
なんでこんなに・・・と思うほどだ。

大工さんはきっとぶつぶつ文句を言いながら作ったに違いない。(とは失礼な言い方か。)


こんな場所で授業を受けることが出来て、自由学園の生徒たちはそれだけでも「しあわせ」な感じがしたかもしれないな。


講堂(チャペル兼?)はいささかごつい感じがしないでもない。
弟子の遠藤新の設計とのことだが、ライトの柔らかさが少し足りない感じかな。

全体としてはかなり色んな幾何学模様というか線が多用されているのだが、それがくどく感じない程度に全体がデザイン的に統一されているように感じた。

建物の中で一番居心地よく感じたのはやはり食堂かな。
招待券でコーヒーとケーキをただでいただきました。

そう言えば「ショップ」の方には奥村昭雄デザインの椅子が置いてあった。
木の風合いを活かしたごつく見えるが親しみを感じるフォルムだ。

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月10日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「愛は期待する」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(117)
コロサイ・ピレモン(20)

2013年11月2日土曜日

明日の礼拝案内

召天者記念礼拝

11月3日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ローマ人への手紙 8:31-39
説 教 題 「キリストの愛」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※11月9日(土)、クリスマス・リース作り教室
詳細はこちらをクリック

2013年10月28日月曜日

木工教室②

久々の「木工教室」レポート。

教室とは言っても生徒は一人。
言わば専属トレーナーのようなものだ。

最初は手取り足取りだったが、今は簡単な作業は放っておけば良い。
必要ない時はこちらは本を読んだりなんかして。

工房には簡単なオーディオシステムが設置してある。
(でもその紹介はまた別の機会に。)

現在生徒が製作しているのは、作業台だ。
洋裁もしているので、ミシン作業台となる。

大きさは小学生の学習机ほど。
画像で示せばこんな感じ。


ちょっと反射がきついが、テーブルトップは厚さ3センチのナラ集成材で結構重い。
その他は厚さ2.4センチのナラ突板の合板(中身はシナ)。


奥行きは60センチあるが、引き出しはほぼ一杯までにする予定。
(反対したが、沢山収納したいそうだ。)

これはパーツにばらして自宅に持って帰って組み立てるように考案されている。
(ノックダウン式とも言う。)
それで構造も作りも極めて簡単になっている。

そのため強度不足をどう補うかが課題であった。
背板を大きく取ることで横揺れを抑えている。

この作業台の上には高さ120センチ強の横幅一杯の棚が載る。
強度不足の問題がまた出てくることになる。

現在は引き出しを製作中。

以上めったにない「木工」記事でした。

2013年10月26日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

10月27日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「兄弟に元気づけられる」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(116)
コロサイ・ピレモン(19)

2013年10月19日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

10月20日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「兄弟の負債を負う」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(115)
コロサイ・ピレモン(18)

2013年10月16日水曜日

世界食料デー

今日は世界食料デー。

UNEPの Food Waste Factsによると、
①世界中で生産される食料の約1/3が消費されずに消失するか捨てられている。
②豊かな国々で捨てられる食料と、サハラ砂漠以南のアフリカの国々で生産される食料はほぼ同じ。
③食料の消失・廃棄は、水・農地・エネルギー・資本など資源の浪費になるだけでなく、温室効果ガス発生にも寄与している。

などの報告がなされている。

食料の無駄は大問題だと言うことはよく分かるが、なかなかこれを是正するのは大変だろうな、とよく思っている。

自分としてできることは・・・とにかく食べ物を「残さない」ようにしている。

時に外食でこれが大変なことがある。

ある時早稲田の学生街で安いランチの店に入って「メンチカツ定食」を頼んだ。
ところがご飯が丼飯でしかも山盛りなのだ。

もう見ただけで圧倒され、どうやってこんな量食べきれるのだろうとしばらく食べる前に考え込んでしまった。
その時はちょうどある会合に出かける時でそんなにゆっくり食べてもいられなかった。

と言うわけでその食事の目的は「腹ごなし」ではなく、如何に食べきるか・・・であった。


2枚あるメンチカツを食べながら、ご飯の量はそれでも半分強位にしか減らなかった。
味噌汁もなくなり、後は2枚のたくあんで何とかしなければならない。

たくあんもなくなった。
でもご飯はまだなくならない。
時間も経ってきた。

段々あきらめの気持ちがわいてきた。
しかし何とかゴールを達成したい。

その気持ちだけで最後は「ガンバッテ」完食した。

しかしこれは考えてみればおかしな図である。

世界には食べものが足らなくて栄養失調の子供たちが多くいる。
飢餓に苦しむ人々がたくさんいるのに、なんで筆者のような「苦しみ」をしなければならないのか。

経済が下降線で余裕がなくなってきている状況では、「食べ放題」や「山盛り無料」みたいなものに惹かれるのも分からないでもない。

しかし何枚もの皿に沢山盛って、食べきれないで平気で残す人も結構いるのではないかと思う。
こう言うの何とかならんのか・・・。
衣食足りて礼節を知る

と言うが、こと食に関しては「残さないように、無駄にしないように食べる」ことそれ自体が最早富める国に住む者の最低限の礼節にしなければ・・・と思うのは考えすぎであろうか。

てなことを「世界食料デー」にかこつけて思いました。

2013年10月14日月曜日

ル・ピラート

今日は体育の日。

体育の日と言えば小嶋家では墓掃除の日となって居ります。
当家の墓は千葉県松戸にある八柱霊園。

父が戦後キリスト者になり、さらに牧師になり、その影響で最初息子を勘当した両親もキリスト者となり、千駄木だかにあった寺の檀家総代であった当家の墓を八柱霊園に移したのであった。

朝8時には出発。9時過ぎには北総線・松飛台駅に到着。
駅から当家の墓までは歩いて10分ほど。

(掃除前)
(掃除後)
帰宅して今度は外食と言うことで、行きつけの茗荷谷のフレンチ・レストラン『ル・ピラート』へ。
散歩も兼ねてゆっくり歩いて35分で到着。
いつもランチの2000円コースを頂いております。
この日は前菜は
(1)海鮮サラダ仕立て(ブリ、ホタテ、車えび、など)
(2)パスタ・ラグーソース+カキフライ
(3)栗が主役のポタージュ
(左側に見えるのがブリ、手前はホタテ)
(こちらはパスタ)
メインは
(1)イベリコ豚のポルチーニきのこ仕立て
(2)カマスのグリル
(イベリコ豚)
(カマス、まわりにムール貝が)
これに自家製のパンがつきます。
デザートはなかなか良かったです。
りんごのソルベ、かぼちゃのプディング、イチジクのタルトでした。
コーヒーか紅茶が選べます。

いつもながら繊細な味付け。
丁寧な下ごしらえと盛り付け。
もう顔馴染みなので、サーブしてくださるシェフの奥さんとも少し会話したり。
今日も満足のランチでした。
この値段で、これだけの内容・満足度・・・そうあるものではありません。
今後ともお付き合いのほどお願いしたいものです。

地下鉄茗荷谷駅からすぐ近くです。
どうぞお試しください。

 

2013年10月12日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

10月13日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ローマ人への手紙 5:1-11
説 教 題 「和解」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《キリストの十字架》⑧

※礼拝後、昼食会があります。

2013年10月6日日曜日

32年ぶりの再会

少し時間が経ってしまったがまあいいか。

先日アズベリー神学校時代の友人が某国から訪ねて来た。
実に筆者が卒業してからだから、32年ぶりの再会だ。

彼とは年齢は1歳しか違わない。
しかし再会した時の彼の驚きは大きかった。
筆者が32年間でその風貌が大きく変わったのだった。
(細かいことは言わない。知ってる人は良く分かっていること。)






彼の方は髪の量は変わらず、白髪にもなっていない。
筆者と比べて外見も中身も若々しい。(かなり「負けた」感。)

2年遅れてアズベリー神学校にやって来た彼は、その年やって来た外国人留学生10人くらいの一人だった。
筆者はその年最終学年生で、留学生のための組織『コスモポリタン・クラブ』のプレジデントだった。
別に人徳とかリーダーシップがあってなったわけではなく、単にその年の留学生3人のうち独身は筆者一人で、コスモポリタン・クラブに良くお世話になっていただけのことである。

彼が入学する年までと言えば、留学生はせいぜい2~3人新しく入ってくる程度であったから、コスモポリタン・クラブの活動と言っても、非常にこじんまりとしたものだった。

それが彼が入ってきた年は一挙に10人越え・・・コスモポリタン・クラブのプレジデントとしては大きなチャレンジであった。

アジア、アフリカ、中南米からやって来る彼らができるだけスムースに学生生活を過ごせるように「ウェルカム・パーティー」を兼ねたちょっとした「オリエンテーション・プログラム」まで企画したものだった。

筆者はアズベリー神学校卒業後しばらく(かなり長く)遊学したのだが、彼の方は国に戻り、今では某教団最大会員数の教会の主任牧師となっている。

その彼が筆者に会いに来るというだけでなく、他の一行(家族・親族)5人も含めて「教会見学」にやってきたわけだから面白い話である。





彼はアズベリー神学校時代の学友たちの写真を端末に納めていて、見せてくれたが、彼らの当時の記憶やその後の消息なども筆者などよりはるかに細かく覚えていて驚いた。

僅か1時間ほどの滞在だったが旧交を温めることができ嬉しかった。

2013年10月5日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

10月6日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 14:15-31
説 教 題 「真の支配者」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2013年10月3日木曜日

クリスマスリースを作りましょう

教会の白樺の枝で
クリスマスリースを作りませんか



ペアのエンジェルがとてもかわいらしい作品です!
横40センチ、高さ28センチくらいのオーバル型リース


日時: 11月9日(土)13:00~17:00
 

場所: 巣鴨聖泉キリスト教会

講師: 安田敏子

参加費: 4,500円(材料費含)

*花ばさみとエプロンをご用意ください
締切: 定員になり次第

定員: 10名くらい

*お申し込みはお電話、Eメールで

巣鴨聖泉キリスト教会
03-3946-8035
sugamo_seisen@yahoo.co.jp


※PDF版チラシの欲しい方はクリック

2013年9月21日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

9月22日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「受容力」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(114)
コロサイ・ピレモン(17)

2013年9月18日水曜日

佐藤優「キリスト教神学概論」その後

最近、佐藤優「キリスト教神学概論」へのアクセスが多い。

このブログでは上記タイトルで3回記事にした。
第1回
第2回
第3回

残念ながら、この記事が参照しているリンクはすべて削除されたようである。
わざわざ当ブログを訪れた方に申し訳ないが、こちらとしてはどうしようもない。

余計なことかもしれないが、やはり言論界の人としては、一旦ネットに掲載したものを、気に入らないから(かどうかはよく分からないが)と言って書き改めるにしても、あれだけ連載したものは、アーカイブとして残しておくべきではなかったか。

現在は、前シリーズと同じく、webheibonサイトで、日本人のためのキリスト教神学入門、として再開されている。

当ブログでは「主に神学ブログ」を時々アップしているが、念のためこの佐藤優氏のブログも候補に入れておこうかどうか考慮してみたい。

と言う訳で、ご報告まで。

訂正とお詫び

昨日のブログ記事「(2)明日から『イエス入門』読書会」としましたが、一日間違えてしまいました。

18日(水)からではなく、19日(木)から開始です。

ご迷惑をおかけした方にはお詫び申し上げます。

以上、訂正と、明日19日(木)から開始の『イエス入門』読書会のご案内でした。

2013年9月17日火曜日

(2)明日から「イエス入門」読書会

今日は気持ちのいい秋晴れの日。

明日からリチャード・ボウカム「イエス入門」読書会が始まる。

読書会を始めるにあたって、日本語で読まれている「イエス」についてのベストセラー本2冊と、最近の「史的イエス研究」を反映しているかもしれない論考とを手にしてみた。

先日は若松英輔氏の『イエス伝』(中央公論連載中)を紹介した。

「イエス」についての本は日本語でも沢山あるのだろうが、先日図書館から借りてきた「ベストセラー本2冊」とは、

遠藤周作「イエスの生涯」(1963年、新潮文庫)
荒井献「」イエスとその時代」(1974年、岩波新書)

である。

小説家と古典文献研究家の書いた「イエス」である。
多分どちらもかなり売れた本だと思う。
(筆者はどちらも読んだことがなかった。)

2冊ともボウカムの「イエス入門」と比較した場合、さすがに最近の「史的イエス研究」と言うことで言えば古いと言わざるを得ないが、何かしら拾ってみようと思う。

小説家遠藤の「イエスの生涯」では「誕生」のことは触れられていないが、「復活」については触れられている。

エマオに旅する弟子たちの物語(ルカ福音書24章)から、彼らの心のうちに「イエスは生きている」と言う感情が湧き上がった事は事実に相違ないが、弟子たちの生前のイエスへの思慕だけからは「イエスを神の子と神格化する」その後の歴史は成立し得なかったはずだ。

弟子たちには、「別の次元から何か筆舌では言えぬ衝撃的な出来事が起こったと考えるより仕方がない。」

と遠藤は推論する(248-249ページ)。

イエスの復活を目撃しなかった我々は、以上のべたような謎をふしぎに思う。なぜ弟子たちはたち直ったのか。なぜ弟子たちは荒唐無稽な、当時の人々も嘲笑した復活を事実だと主張しつづけたのか。彼らを神秘的幻覚者だとか、集団的催眠にかかったのだときめつけるのはやさしいが、しかしそれを証拠だてるものも何ひとつない。謎はずっしりと重く我々の心にのしかかるのである。(250ページ)
遠藤には「謎」として残ったこの「復活」について、ボウカムは次のように言う。
イエスに起こったことについて原始キリスト教徒たちに同意するには、彼らを取りまく宗教的世界観のいくばくかを少なくとも受け入れることが求められる。・・・でなければ、せいぜい次のようにいう程度にとどまってしまうだろう。イエスの死によって深く幻滅していたイエスの弟子たちに、神が彼を死人の中からよみがえらせたと信じさせるような非常に特別なことが起こったに違いない、と。日本人作家の遠藤周作が彼の作品『イエスの生涯』(1978年)の中で語ったように、・・・。(178ページ)

ここまででやや息が切れてきた。
荒井献「」イエスとその時代」(1974年、岩波新書)についてはまた別の機会があれば取上げよう。



2013年9月15日日曜日

(4)福音派のパラダイム・シフト⑧(完)

ゴードン・T・スミスの小論
The New Conversion: Why We 'Become Christians' Differently Today 
 
を要約・粗訳し終って感じていたのは、いささか大風呂敷であることと(紙面の制約から仕方がないことだが)各論への詳述が足りなさ過ぎ、と言うことだった。

2回に渡って「個人的所見」を述べてはみたが、何となく終えた感じがしない。
夏の間は放置していたが、ここらでちゃんと締めくくりたいと思う。

最後に筆者が試みたことは、もう少しスミス自身について知り、また聞いてみたい、と言うことだった。

幸いゴードン・T・スミスは自身のHPを持っている。

動画の方は「回心」に関連しそうなものは見つからなかったが、音声ファイルの中に適当なものがあった。

The Conversion Experience and the Intellectual Vocation.
  1. Track 1
  2. Track 2
  3. Track 3
  4. Track 4
  5. Track 5
  6. Track 6 
この講演では特に知識人の「回心体験」を自伝的にか伝記的にか「ナレーティブ」として残されたものを丹念に追跡し分析を加えている。

古典的なオウグスティヌスやジョン・ウェスレー、幾らか最近では、G・K・チェスタートンやC・S・ルイス、もっと最近ではヒトゲノム解析を指揮したフランシス・コリンズらの名前を挙げているが、実際に論評しているのは次の4人である。
1. ブレイズ・パスカル
2. シモーヌ・ヴェイユ(彼女の場合はキリスト者への回心は未完であった。)
3. George Grant
4. Paul Williams
スミスは「仕事として」沢山の「回心体験物語」を読むと言うが、これらの知識人たちの「知的問題を含んだ霊的遍歴」から「回心」と言う、個々人にとってはユニークな体験でありながら、神学的に見た「共通要素・過程」を跡付けられるのではないか、と言っている。

なるほどこれを聞くと、スミスはこの小論において、ただ色んな人物の名前を挙げているだけでなく、「回心体験」を学際的にしかし統合的に捉えようとしているのかが窺い知れる。

スミスは思いの外雄弁であったし、よくリサーチしている、と言う印象を受けた。

「福音派のパラダイム・シフト」と言うネーミングはちょっと眉唾に聞こえたかもしれないが、肝心なポイントは、19世紀から20世紀のリヴァイヴァリズムの「回心」を導いたり(「四つの法則」「爆発する伝道」)、あるいはそれによって得られた体験を記述した言語は「型枠」で限られていて、「回心」における知的・霊的複雑さや深さを捉えきれない・・・と言うことを実証したかったのではないかと思う。

少し乱暴にまとめれば「回心体験」とは、実に霊的に深い体験だ、ということだろう。

自身の体験としてこの講演の中でも語っていたが、1970、1980年代「回心」を神学的に講義するための教科書はリチャード・ラブレースのものしか見当たらなかったが、1990年代以降どんどん面白い研究が出てくるようになった、と述懐している。

スミスはどうやら「体験」の神学の可能性と有用性を提唱しているようだ。

と言うわけで、8回かけたこのシリーズもこれにて終幕としよう。
お付き合い下さった読者の皆様に感謝。

2013年9月14日土曜日

(1)近況報告2013年9月

一年の中でも色々波はあるものです。

4月半ば頃でしょうか、冬眠から覚めて少しずつペースを掴み始め、6月から7月にかけてピークを迎えた後、なだらかな下降線に入ったと思っておりましたら、9月間近になる頃でしたか、何かじわじわと疲れのようなものが出てまいりました。

そんなことでブログの更新もここに来てかなりスローペーストなっております。

こう言う時は慌てず騒がず、あまり背伸びをしたような記事は狙わない方がいいかもしれないと少し思っております。

読書のペースもかなり落ちましたね。
必要以外のものにはなかなかてが出ません。

どちらにしても、もう大分前から「勢いで何かをやるような年」ではないので、その辺りどう自分を調整していくか上手くやって行きたいのですが、やはり年齢を重ねながらその都度探って行くことなのでしょうね。

年頭「メリハリ」「オン・オフ」を目指して少し冒険もしたいと思ったのですが、夏の小旅行でそれはある程度実現できたと思うのですが、まだまだとも思うのです。

ともすると「あれもしなければならない、これもしなければならない」と言う思いになりやすいのですが、その辺もう少し「気持ちの整理」をすることで、現実は変わらなくとも受け止め方によって少しでも「心の余裕」を確保できるようになりたいものです。

最近少し読み出した本で、Jack Levison Fresh Air: The Holy Spirit for an Inspired Life


があるのですが、前々から読みたいと思いつつそのままにしていたのですが、やっと購入しました。

すぐ読み通す必要はないと思っています。
何らかのヒントをくれればそれでもいいと思っています。

今のところのヒントは、ブリージング、息をすることです。
息をすることに意識を向けるみたいなことと先ずは受け取りました。

もちろん「息」はヘブル語でルーアッハ。
ルーアッハは霊でもあり、風でもあります。

読んでから、時々「息をすること」を「霊」のことを考えたり、思ったりしています。
まだ微弱な「思い巡らし」ですので、「なるほど」などと言うことはありません。

三日坊主系ですから、ただ「思い返したように」息をすることを霊と絡めて・・・でいいかなと。

明日の礼拝案内

主日礼拝

9月15日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「兄弟として回復される」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(113)
コロサイ・ピレモン(16)

2013年9月9日月曜日

(3)南部バプテスト連盟

これはたまたまの記事です。

まっそれ自体は大したことない、などと言うとバプテスト連盟の方から顰蹙を買ってしまうので、説明しますと、

「大したことない」のはこれから紹介することではなく、筆者が単に英語圏ブログを巡回してて見つけた記事、と言う点が「大したことない」と言う意味です。
記事の中身が「大したことない」のではなく、筆者がたまたま見つけたこと自体が「大したことない」と言うだけです。

なんかかなりくどい説明から入って申し訳ありません。

北米のプロテスタント教団で最大のものは、the Southern Baptist Conventionです。

その理事長に初めてアフリカ系アメリカ人がなった、と言うのが昨年の大会でのニュースですが、そのフレッド・ルーター・ジュニア牧師は2013年の大会で再選され、それが筆者が巡回する「英語圏ブログ」の一つであるトレヴィン・ワックスのキングダム・ピープル・ブログで紹介されていました。(この記事

実はなぜ記事にしたのかと言うと、次の表現に引っかかったからです。
His ascendancy to the presidency in the SBC grew from decades of service within the denomination.
この後文章は、フレッド・ルーター・ジュニア牧師どのようにして理事長にまで選ばれるかその経緯を説明しています。

気になったのは、ascendancyと言う語です。
訳せば「(理事長職に)登り詰めた」とでもなるのでしょうが、教会と言う「組織のトップになる」と表現することはそれほど不自然ではないのかもしれませんが、「アフリカ系アメリカ人初」と言うことも合わせて「強調」されているように感じます。

たまたま昨日の午後、近くの巣鴨ときわ教会(日基)で「荒井献講演会」があり、話を聞いてきたのですが、その中で「下に上る」と言う話をしていました。

詳細は忘れてしまったのですが、ピリピ2章6-11節のような「ケノーシス」 的理解で行動することを言っていたのだと思います。
そのような行動を取ることを「下に上る」と表現したのだと思います。

別にトレヴィン・ワックスが「権威主義的な人」とか言う話ではありません。
ただ彼が、フレッド・ルーター・ジュニア牧師が南部バプテスト連盟理事長に「なる」ことを、ascendancyと表現したことに筆者が違和感を感じただけ、と言うほどの「大したことない」話なのでした。

※ 南部バプテスト連盟に所属する日本人の牧師でしょうか、2012年の大会でのこの「歴史的出来事」を簡潔に報告しているブログ記事です。

2013年9月8日日曜日

(4)神学遍歴⑨

プリンストン神学校時代で忘れてならないのは、神学校の方だけではなく、プリンストン大学での聴講だった。


(上の文章は神学遍歴⑧のイントロと同じもの。)


前回は
もう一人のプリンストン大学の名教授の一人、ポール・ラムゼイ教授のことは次回に回します。
(て言うか、正直言うと、一度に名教授二人について書くのは大変だからです。笑)
で終わったので、その ポール・ラムゼイ教授について。

彼についてググッても、「現代的実存と倫理 (1970年)と言う邦訳書がヒットするだけで、ウィキ記事もないようだ。

では何か書くことに意義もありそうだ。






Paul Ramsey (December 10, 1913 – February 29, 1988)は著名なキリスト教倫理学者であり、H・リチャード・ニーバーの弟子の一人でもある。

筆者がプリンストン神学校に在籍したのは、1981-2年なので、彼のクラスを聴講した時はもう引退間近の頃であったかもしれない。

クラスの名前は忘れたが、かなり大教室のような記憶がある。
多分アンダー・グラジュエートだったのだろう。

探せば当時の講義録がどこかに残っているはずだが、面倒くさいので、記憶に残っていることだけを書く。

多分プリンストンに来る前から、彼の名前は知っていたはずだ。
ただどのようにして彼のクラスの聴講許可を取ったのかは覚えていない。
チャールズ・ウェスト教授(この記事参照)のTA(ティーチング・アシスタント)の一人が仲介してくれたのかもしれない。

ラムゼイはキリスト教倫理学の教科書としてもよく使われる、Basic Christian Ethics、「義戦論」や「生命倫理」、などで有名だが、なぜかこのクラスの熱っぽく語っていたのは、ジョナサン・エドワーズだった。


The Nature of True Virtue
Love, the Sum of All Virtue

辺りから講義をしていたのであろう。

とにかくエドワーズを絶賛していたように思う。

残念ながら当時の筆者には「ジョナサン・エドワーズ? 誰それ?」、と言う感じで、余り印象には残らなかったのだが・・・。

そんなことも合わせてこの追悼記事が参考になるだろう。

デューク大学に寄贈された「ポール・ラムゼイ・コレクション」の書簡の中には、
Roland Herbert Bainton,
Emil Brunner,
Daniel Callahan,
James M. Gustafson,
Richard A. McCormick,
Rollo May,
H. Richard Niebuhr,
Reinhold Niebuhr,
等の他に
Richard M. Nixon,
Eunice Kennedy Shriver,
Sargent Shriver
等の名前もある。(リンク) 

2013年9月7日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

9月8日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ローマ人への手紙 5:1-11
説 教 題 「私たちを義とする神」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《キリストの十字架》⑦

2013年9月4日水曜日

(4)カトリックと聖書⑥(完)

とうとうここまで長引かせてしまいました。

最初に、Vital編集長・世古淳さんに掲載をお願いしてから2ヶ月が経ってしまいました。


ここのところ少々夏ばてかすっかり勢いがなくなってしまっています。(ぼやき)

さてとにかく気合を入れてこのシリーズを終わらせたいと思います。


『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議  (2013年6月)「神との出会いの場」の残り(最後)の部分を引用します。

 しかし公会議は、一部の保守派が望んだ、「啓示の源泉は聖書と聖伝の二つである」という言い方には組みせず、むしろ啓示の源泉は神であって、この二つはそこから流れ出て、一体をなすものだとしています。これが意味することの一つは、私たちが出会う、また出会わなければならない、「神のことば」とは、聖書の字面ではなく、キリスト自身だということです。だから聖書を読むということは、「お勉強」をするということではなく(それも必要でしょうが)、人によって、また同じ人でもその時の状況によって、違った見え方、聞こえ方のする聖書のことばを通して、神様が今、「私」に語りかけるかもしれない、そのような出会いが待っているかもしれない空間に足を踏み入れる、ということなのです。
 公会議はこのように、神様との貴重な出会いの場のひとつを、私たちの信仰生活に取り戻してくれたのです。     
 世古 淳(せこきよし) (Vital編集長)
近代的(と言う表現にも些か問題があるかもしれませんが)聖書学に対する取り組みはプロテスタントに遅れを取ったかもしれませんが、第2ヴァチカン公会議以降のカトリックの歴史批評学の分野での聖書学との取り組みは貧しい筆者の知識から言ってもなかなかのものであります。

レイモンド・ブラウン神父、ジョセフ・フィッツマイヤー神父、ジョン・P・マイヤー神父などの名前がすぐ挙がります。

しかしある意味後発だからこそ、「聖書の権威」を高調するプロテスタントが近代化の過程で格闘するはめになった「聖書の闘い」のような、字義主義的聖書主義の問題や、聖書解釈を巡る哲学的問題の整理などを慎重に進めることができたように思います。

もちろん何の論争もなかったということはないでしょうが、プロテスタント内での「聖書論」を巡る激しい闘争は避けてこられたのではないでしょうか。

聖書そのものを『神の啓示』とほぼ同一視するかのように思われる極端な「聖書主義(ビブリシズム)」を念頭に置きながら、啓示の源泉を「神/キリスト」に遡らせ、聖書と言う文書群を客観視する視点を確立しようとしていることが上記の引用にも現れていると思います。

このような態度は「穏健な聖書学の学風」を持つ英国聖書学者であるN.T.ライトにも共通します。
ライトはその著書、The Last Wordで、聖書の「間接的な権威」を次のような表現で定義しています。
the phrase “authority of scripture can make sense only if it is a shorthand for “the authority of the triune God, exercised somehow through scripture.” (Last Word, p.23.)
(「ライトの聖書観」についての筆者のある場所での「発表」については、ここにまとめておきました。)

既にこのブログでも取上げましたが、
『教会における聖書の解釈』① 
『教会における聖書の解釈』② 
『教会における聖書の解釈』③ 
『教会における聖書の解釈』④ 
『教会における聖書の解釈』⑤ 
『教会における聖書の解釈』⑥ 
「聖書の字面」と表現されているように、「聖書を取り戻す」過程で克復しなければならない問題として、聖書の歴史的・文化的背景を無視するような、平板な解釈をする『ファンダメンタリズム聖書解釈』が反面教師となっているように思います。
 
カトリックが『ファンダメンタリズム聖書解釈』をかなり問題視していることについては、①と⑥に書き留めておきました。

以上、最後は息切れで青息吐息のまとめになってしまいましたが、改めて記事の全文掲載と論評を快く許可してくださった世古さんに感謝します。
 








2013年8月31日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

9月1日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 14:15-31
説 教 題 「起こる前に話しました」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2013年8月29日木曜日

(4)若松英輔『イエス伝』

最近のアクセスを見るとちょっと意外に感じるのだが、佐藤優「キリスト教概論」へのページ・ヴューが依然として多い。

これは「ふしぎなキリスト教」などに対する関心と通底するような、「教養としてのキリスト教」を求めている兆候なのだろうか。

ところでこのブログでも何回か紹介したリチャード・ボウカム「イエス入門」出版と時期的に相前後して、最近よく名前を聞くようになった「批評家・若松英輔」の『イエス伝』が中央公論から連載開始した。

一応連載①「一章」(中央公論、2013年5月号掲載)から読んでいるのだが、今回はその④を取上げたい。

第四章 洗礼ーーイエスは洗礼を授けたのか

先ず全体的な印象から。

これは連載全体に通じるのだが、若松氏の考究(瞑想?も含む想像を活かした読み・・・のような取り組み)は、新約聖書学(主に福音書に限定されるが)の最近の研究や動向にも目を配りながら、しかしその枠組みには縛られない、むしろその殻を破ろうとする試論のように思う。

若松氏は「史的イエス」にも関心があるが、むしろ「内村鑑三」に言及したり、また背景には「井筒俊彦」もあり(若松英輔ウィキ)、「宗教間対話」のような狙いがあるのではなかろうか、と筆者には感じられるのだ。

「霊性」の次元で時代や文化の異なる「宗教家・宗教運動」を横断的に捉える視野を探っているような雰囲気と言おうか・・・。

今回の文章は「イエスの幼年期」について書いているが、福音書資料は大変限られており、ルカ福音書の「幼児期物語(infant narrative)」についての解説が主になっている。

かなり内容を省略するが、「イエスが12歳」の時のエルサレム行エピソードでの少年イエスの「父の家」発言に対する両親の驚愕の背後にルドルフ・オットーが用いた「ヌミノーゼ」体験のようなものがあるのではないかと若松氏は指摘する。
 このとき、マリアとヨセフを、名状し難い、しかし烈しい戦慄が貫いたのではなかったか。日々、子供が育っていくのは悦ばしい。だが、その一方で、幼き魂がかいまみせた叡智と霊性の次元が、自分たちとはほとんど隔絶されていることを認識せざるをえない。
 彼らは恐れと畏れが入り混じった、霊的な慄きとも言うべき経験に投げ込まれている。福音書で何もふれられないことによって現出するコトバには、宗教学者ルドルフ・オットーが、超越的体験の原型として論じた「ヌミノーゼ」の事実を見る思いがする。(下線は筆者)
若松氏の関心はここでも新約聖書学者が通常『釈義』と呼ぶ、「著者(福音書記者)の意図した意味」を文脈から取り出してくることよりも、その背後にある「霊性」に繋がる「何か」へ意識を向け、その「何か」を浮き立たせることに関心があるようだ。

さて福音書記述ではこの「イエス12歳のエピソード」より前に来るのだが、「洗礼者ヨハネ」の母エリサベツと、「イエス」の母マリヤの邂逅場面で、エリサベツが「最初」にイエスを「主」と認めたことの経験が、「福音書は具体的には伝えていない」が、洗礼者ヨハネを形成する重要な要素となったであろうと若松氏は想像している。

さて標題の「洗礼」に関し、洗礼者ヨハネの「洗礼」と、イエスの「洗礼」とを福音書の記述に照らして比較するところでも、若松氏は何の前触れもなく「内村鑑三」を登場させる。
 キリスト教に入信するときには洗礼を受けなければならない、とされている。だが、その根拠は必ずしも明確ではない。仮に、イエスを神の子キリストであると信じる者、と「キリスト者」を定義するなら、すべてのキリスト者が洗礼を受けているわけではないからだ。
 たとえば近代日本を見るだけでも、内村鑑三によって始められた無教会に連なった人々のように、洗礼だけではなく、宗教的儀礼を信仰上の必須の条件であるとは考えなかった一群の人々がいる。新約聖書を読む限り、彼らの信仰を誤りと断ずることはできない。
と前置きのようにしながら、「洗礼」が「キリスト者」の条件とはならないことを見ていくことになる。(若松氏は、特にヨハネ福音書4章2節の挿入的解説に注目する)。

この辺りでも若松氏の考究は一定の問題意識によってテキストを選択していくことになる。

洗礼者ヨハネの「水の洗礼」に対し、イエスの「聖霊と火の洗礼」の意味を明らかにしようとする時も、若松氏は依然として「儀礼的・外形的」洗礼に対して、「目に見えないところで成就する出来事」であるところに、『聖霊』による洗礼の意義を見ようとする。

そしていよいよパウロ書簡に進んで行く。
 洗礼が無意味だといったのではないにしろ、イエスは、洗礼を救いの条件にはしなかった。原始キリスト教団が信じたイエス像も同様ではなかったろうか。パウロがユダヤ教の割礼の儀式にふれて言った言葉は、キリスト者の洗礼を考えるときにも見過ごすことはできない。
 あなた方は古い人とその行いを脱ぎ捨て、深い知識へ進むようにと、創造主の姿にかたどって絶えず新しくされる新しい人を身にまとっているのです。そこにはもはやギリシア人もユダヤ人も、割礼を受けた者も受けていない者もなく、未開人とスキタイ人、奴隷と自由の身の区別もありません。キリストこそがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。(「コロサイの人々への手紙」)
洗礼に意味がないのではない。パウロも回心のあと、アナニアという人物から洗礼を受けている。洗礼は、今日も秘蹟であり続けている。しかし、パウロが割礼において明言しているように、洗礼の有無は、救済とは関係がない。もし、ここに固執するならば、大多数の洗礼を受けていない人々が救われないことをよしとすることになる。自分は救われ、ほかの人々が業火にさらされているのをだまってみていることが、果たしてイエスの生涯に続く者がとるべき態度だと言えるだろうか。
若松氏の問題意識は明確である。

ただ下線で指摘した部分で、若松氏は「割礼」と「洗礼」とを混同し、パウロにとって「洗礼」と「割礼」とはあたかも区別がなく、ともに宗教儀礼上のことのように扱ってしまった。

これはかなり大きなミスである。

パウロの真正の手紙と認められている『ガラテヤの信徒への手紙』では、
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(ガラテヤ3章26-27節、新共同訳)
と言明しているように、洗礼とは「キリスト者」となる体験が、「キリストと一体化」される体験であることを示唆しているものです。

若松氏が嘆く「洗礼」を巡る問題はさておき、パウロに関して言えば、「洗礼」は単なる宗教儀礼上のものではなく、そのエッセンスは「キリストに結ばれる」ことをあらわすものであり、「キリストの死と復活に与る」(ローマの信徒への手紙6章4節)決定的意味を持ったものであることは明白です。


故に原始キリスト教団において、洗礼とは「イエス・キリストの名によって」「古い人・古い世」から切り離され、「終末の神の民」の一員となる(聖霊はその確たる証し)ことをあらわすものとして実践され(使徒言行録2章38節)、「ヨハネの洗礼」を受けただけの「弟子たち」も「聖霊の有無」を確認されて「主イエスの名による洗礼」を受けたわけです(使徒言行録19章1-7節)。

ただ若松氏の「洗礼」に対する問題意識は根拠がないか、と言うと決してそうではない。
ご指摘のように「洗礼」が多分に宗教儀礼上のものに過ぎないような扱いをされている現状は様々あると思われる。

しかし「洗礼」が持っている意味を新約聖書にさかのぼって見る時には、その意義は甚だ大であることは認めざるを得ないのではないか。
そしてむしろ新約聖書から、現在の「洗礼」を巡る混乱に対するアプローチを考えるのも有効なのではないか、と筆者は思う。

2013年8月27日火曜日

(4)主に神学ブログ⑤

このシリーズ前回④、「のらくら者の日記」を紹介したのが4月8日だから大分経ってしまった。

これは今後は更に難しくなって行くことを予感している。

かてて加えて、他にも幾つかブログを抱えていたり、第2回N.T.ライト・セミナーの準備等で、このブログの更新がままならなくなってきている。

それに加えて2、3ヶ月前、午前3-4時頃に目が覚めていたのが(それで大分ブログ記事を書いたりする時間が出来ていたのだが)、ここに来て起床時間が遅くなり、具合悪いことに(主に)午前中であったり、午後であったり何の気なしに少し目をつぶっていたりすると、そのまま「一眠り」って言うことが増えてきた。

まっ言い訳はそれ位にして本題に入る。

今回取上げるブログは自然神学・環境・経済と言う大変視野の広いものです。

当然筆者の今回の主な関心は『自然神学』にあるわけですが、今回このブログを取上げようと思った直接の記事は、パネンベルグからクレイトンへです。

最近は余り読んでいないのですが、神学の中での筆者の関心領域の一つは「自然神学」です。
殆んどエントリーはありませんが、このブログを始めた頃、有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明、などと言う大それたタイトルの記事を書きました。

その頃はこの記事が「人気の投稿」のトップを独走していました。(あーあ懐かしい。)

この記事では筆者はパネンバーグと英語読みしていますが、「自然神学・環境・経済」ではパネンベルクと多分ドイツ語読みなのでしょうね。
20世紀、特に1970年代以降は、自然神学再考の動向が顕著になった時代であり、それは現在から未来への広がりを予感させている(本ブログもこの動向の 一端を担っているわけであるが)。その動向の一つの中心を形成しているのが、バルトやブルトマン世代以降のドイツ語圏のプロテスタント神学を牽引した神学者の一人であるパネンベルクである。
と紹介されていますが、確かに自然神学が近代の実証科学の飛躍的進歩に対して後れを取ってきていたのを少しでも取り戻そうとしている一人がパネンバーグなのだと思います。

興味深いのは、筆者にとっては少し古い方との印象のあるパネンバーグの他に、ナンシー・マーフィーの名が挙がっています。

彼女についてはまだブログで取り上げたことはありませんが、
Nancey Murphy, Beyond Liberalism & Fundamentalism
は自然神学の領域ではありませんが、「リベラリズムと根本主義の二項対立の図式」を科学哲学的素養から分析している好著ではないかと思っています。(書評のレベルにも至らない多分に印象的なコメントであることをお断りしておきます。)

そしてフィリップ・クレイトン。
個人的には彼の著作は一つも読んだことはないが、METANEXUSを購読してきた者には聞きなれた名前だ。プロフィール

さて「自然神学・環境・経済」ブログだが、欧米の研究動向を知る一つのアンテナとして有用なサイトかと思う。(何て偉そうに聞こえる言い方は慎むべきだろうが・・・。)

このエントリーを書いたおかげで、筆者がこの方面も関心があることを再確認し、いつの日かまた「自然神学」分野の本にチャレンジしよう・・・と言う動機付けになったらいいなー。

《追記》
どうやらミーちゃんはーちゃんと知り合いになったのはこの有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明という記事からであることを再度確認(コメント・セクション)。 

2013年8月24日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

8月25日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「福音の視点から」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(112)
コロサイ・ピレモン(15)

※午後2-4時、福音の再発見ファン感謝デー・東京編

2013年8月21日水曜日

真実と平和を愛しなさい

2013年8月18日(日)の主日礼拝にゲスト・スピーカーとして山口希生兄弟(プロフィール)を招きました。

山口さんのご両親とお姉さまも礼拝に参加され、また聖泉連合・荒川教会のA夫妻も参加され、プラスN.T.ライト読書会関係のMさんも加わり、いつもと大分雰囲気の違った礼拝となりました。



聖書朗読は、ゼカリヤ書7:1-14、8:16-19を司会をする筆者が朗読する。
その後奨励をする山口兄を簡単に紹介して、バトンタッチ。



以下は「真実と平和を愛しなさい」のアウトライン。




1.本日の聖句の歴史的背景について
①紀元前587年5月9日・・・『ソロモン神殿』がバビロンの攻撃により破壊され、消失。

  
②バビロンに捕虜として連行されたユダヤ人たちは、この神殿の消失を嘆き悲しんで、それから70年もの間、毎年5月に断食を行った。

③バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは、ソロモン神殿に代わる新たな神殿の建設に着手した。その完成が間近に迫った紀元前518年が、本日の聖句の語られた時である。

2.ゼカリヤを通じて、主のイスラエルへの戒め

①神殿の完成が近づいたので、ユダヤの人々に一つの疑問が浮かんだ。
「今まで神殿の喪失を悲しんで断食を行ってきたが、新しい神殿もそろそろ完成するので、こんどはお祝いをすべきではないのか?」

②人々の問いに対する、ゼカリヤを通じての主の言葉は意外なものだった。
「あなたがたは、一体何のために断食をしてきたのか?断食を始めた、そもそもの原因が分かっているのか?」
  
③主によるイスラエルへの叱責
「あなたがたは、貧しい者、弱い者を顧みなかった。だから、あなたがたが苦難にある時、私もあなたを助けなかった。あなたがたが嘆き悲しむべきなのは、先祖たちが正義と憐れみを怠ったことではないのか?」

④将来のビジョン
「断食を祝宴に変えるために必要なことはこれである。真実と平和を愛しなさい。そうすれば、あなたがたの断食は祝宴の時となる」

3.断食を祝宴に変えた主イエス

①しかし、ゼカリヤを通じて語られた主の輝かしい将来のビジョンは、その後のイスラエルの500年間の歴史を通じて実現しなかった。ユダヤの地は次々と襲いかかる諸外国の植民地となり、民は苦しめられた。そして断食はずっと続けられた。

②しかし、ゼカリヤの時代から550年の後、主イエスはバプテスマのヨハネの時代まで続けられた断食をやめて、祝宴を始められた。そして「真実と平和を愛すること」を教えられた。

③だが、多くのユダヤ人たちは主イエスの平和の教えに従うことを拒んだ。「敵、つまりユダヤの地を支配する外国の帝国であるローマを愛しなさい」という教えを受け入れることができなかった。かえって敵への憎しみから、ローマとの絶望的な戦争に突入し、再び国と神殿とを失ってしまった。

4.わたしたちへの教訓

①主イエスの示された平和への道は、決して安易なものではない。かえって多くの困難や犠牲さえ伴うものである。

②ローマへの戦争に参加することを拒んだユダヤ人のクリスチャンたちは、同国人のユダヤ人から憎まれ、排斥されていった。私たち日本人クリスチャンにも、あるいは同様のことが起きるかもしれない。

③しかし主は、ご自分に忠実に歩まれる民を見捨てることはない。ここに信仰が必要とされる。

ちょっと難しいかな???、と思いましたが、礼拝後の感想としては「断食」のこととか「バビロン捕囚」と言う歴史的背景のこととかをまとまって聞くことが出来てよかった。
などという感想でした。

2013年8月20日火曜日

神戸・小豆島・高松旅行④(完)

今回の旅行もこの日が最後。

2013年8月13日(火)

先ずは旭屋旅館の朝食。
純和風。


取り立てて言うほどの内容ではないが、一応家庭的な味付けで、普通に朝ごはん食べている感覚に近い。
調子に乗ってご飯は三杯、味噌汁もお代わりしました。たくあん以外は完食。
(とにかくこの日は色々足で稼ぐ移動を考えていたのでエネルギー溜め込んでおこうと・・・。)

チェックアウトの時、ありがたいことに凍らせたペットポトル緑茶をタオルに巻いて持たせてくれました。(これが大いに助かりました。)

旅館のすぐ近くのフェリー乗り場から、高松へ(小豆島急行フェリー) 


1時間ほどで高松港に到着。

先ずは観光資料をゲットするためにマリンタワーにある観光センターへ。
地図と高松空港行きリムジンの時刻表。



マリンタワー29階から見る高松市。 

今回の旅行の目標は「うどんを食す」ことなので時間を見計らって「うどんバカ一代」を目指す。


琴電と呼ばれるかなりローカル風な電車に乗る。始発駅は高松築港(ちっこう)、下車駅は花園。
築港駅に行く途中に高松城跡の玉藻公園を通過。) 



花園は無人駅でしょうがないので近くの(開店前の)八百屋のおばあさんに「うどんバカ一代」までの道順を聞くが、かなりアバウトな説明に「まっ適当に行きゃ分かる」って感じで歩き出したのだが・・・。



結局何回も途中で聞き直して30分くらいかけて要約12時少し前に到着する。
案の定行列だ。
炎天下30分くらい待つ。



とにかく待っている人が多いので、お客は殆んどベルトコンベヤーに乗せられた「順番」並み。
「次の方ーご注文はー」に、余り考える暇もなく、「釜揚げ中」、そして鰯のてんぷら。

グラスと湯のみ二つ取ったが、自動のサーバーはどれがどれだか良く分からず、氷を入れて熱いお茶を注ぐちぐはぐ。
しかしこれがないと大変な位「汁が醤油辛い」のであった。

店を出て近くの公園で一休み。
食べて安心したので、地図とスマホを使って現在位置を確かめようとするが、何か分かりにくい。
次に目指すのは「うどんバカ一代の近くだ」と聞いていた、日本キリスト改革派高松教会。




松田基教(もとのり)牧師とは、ツイッター(@moto_matsu)で何度か行き来があったくらいだが、ご挨拶して行こうかと立ち寄った。




アポなしの突撃訪問だったが、教会の内部(屋上まで)も色々案内してくれた。
こちらが何の脈絡もなくあれこれ質問するのに文句も言わず、1時間ほど相手をしてくれて、松田牧師は次に行く栗東(りっとう)公園の道順を教えてくださり送り出された。

この日の前高松は連日38度越え、と言うことだったらしいが、この日も日中はかなり暑く、歩き回る身に段々疲れが・・・。
それを癒してくれたのがあの凍った緑茶。冷たい緑茶の上手さ、格別。




栗東公園に入って先ず目指したのは休憩所。
誰もいない館内の奥まったところでほぼ1時間、何もせずじっと休憩。

やっと元気が戻ったところで公園の1/4くらいをさーっと周遊してリムジン発着所のあるJR高松駅を徒歩で目指す。

途中で軽い夕食をと思い、名物と聞いていた鳥のモモ焼きを食べようと地元の人に尋ねて見ると、ご親切に有名店の「一鶴」をスマホで色々検索してくれて教えてくれたのだが・・・。
5時前と言うのに既に順番待ち。

バスの時間から逆算すると無理かな、と言うことで方針転換。
とにかく軽い夕食を食べられる場所を探すが結構見つからない。


ジュース屋さんのお兄さんにまたまた親切に教えていただいた喫茶店「皇帝」で焼きサバ定食を。ようやく汗が少し引いて店を出ると、同じビルの1階にうどん屋さんがあるではないか。


軽く、のつもりがお腹一杯になってしまった。
(注文はざる小なのに麺の量たっぷり。一応完食しましたけど。) 

この旅行の「うどんを食す」方はこれで完了、と言うことで安心したのか、この後がいけなかった。
店を出て右に行くべきところを勘違いして左に行ってしまった。
行けども行けども駅付近の場所の様子は現れず、むしろ寂れた住宅街の雰囲気が増してきた。

高松は道を聞くと親切な人ばかり・・・と言うことで早めに近くにいた人に聞いたら、案外駅までは遠くなかった。
それでも早歩きで20分位、汗かきかき何とか発着所についてまもなくバスが。
ぎりぎりセーフでした。




バスの車窓からは雲間に落日が。

後はスムース。10時前には帰宅できました。


さて「うどんを食す」の講評を最後に。
①丸亀製麺(神戸・三ノ宮付近?)
②三太郎(小豆島・草壁港)
③うどんバカ一代(高松・多賀町)
④こんぴらや兵庫町店(高松)
と食したわけだが、②がダントツでうまい。
あとはそれぞれよいところもあるが、麺が固すぎたり、ツユが辛すぎたり、店員の応対や、いろいろマイナス点がある。

三太郎は行列待ちだったが、一旦店内に入れば、応対はのんびり、注文を急かされるわけでもなく、お店側もマイペースでおいしいうどんを作り、出そうとしていたようだった。

東京(江戸)だと日本そばの名店に行けば、出汁(蕎麦の汁)の味がこくがあって旨い、と言うか深い。
三太郎の出汁の味はそこまでではないが、十分飲み干すほどの味だった。
うどんはと言うと、やはり適当な弾力(固すぎない)とツルンとした麺の表面、食感のコンビネーションがよろしかった。

以上4回に渡った旅行記、完。

2013年8月18日日曜日

(4)カトリックと聖書⑤

少し間が開いてしまいました。

『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議  (2013年6月)「聖書を敬遠していた教会」部分の引用が終わったところです。
次の最後の部分は2回に分けたいと思います。

では先ずは引用から。
神との出会いの場
 このような状況に対する危機感は、すでに公会議前からあり、新しい聖書解釈の方法が徐々に取り入れられるなどしていましたが、公会議はもっと明確に、また本格的に、ミサや神学を含む教会の生活や、また信徒一人ひとりの生活の中に聖書を取り戻すことを決めたのです。
 公会議は、まさに『神のことば』(邦題『啓示憲章』)と題された文書の中で、聖書が(聖体とともに)神と私たちの出会いの中で中心的な役割を果たしてい ることを確認しています。聖ヒエロニムスを引用して「聖書を知らないことは、キリストを知らないこと」(25項)だとする公会議は、信徒が聖書に近づきやすくなるよう、またそれによって養われるよう、聖書の研究、翻訳、朗読、また祈りとともに読むことなどを奨励しています。
先ず言及されている『啓示憲章』ですが、ちょっと調べてみました。

和田幹男神父による、第2ヴァティカン公会議 概説、に憲章(Constitutio)として出されたものが四つあるそうですが、そのうちの一つが、
2) 神の啓示に関する教義憲章(Constitutio Dogmatica de Divina Revelatione Dei Verbum):DV、『デイ・ヴェルブム』、または啓示憲章と略す。
だそうです。
和田氏の文章は以下のように続いています。
 第2ヴァティカン公会議で、教会は現代の世界の中で何を、 いかに行動すべきかを総合的に見直して、それに適応した体制をとろうとした。 その現代化にこそ、その目標があった。
「現代化」と言うことはプロテスタントの筆者もこの会議の持つ意義としては一応弁えているつもりでしたが、次の部分は少し驚きを覚えました。
当時よく用いられたアッジョルナメント (aggiornamento)という言葉がそれを的確に表現している。この現代化は、 その後も常に行われなければならないもので、同公会議は教会をこの現代化の動きの中に送り込んだのだった。 当時よく言われたもうひとつの言葉、「教会はたえず改革されなければならない」 (Ecclesia semper reformanda)が、このことをまた的確に表現している。実際に、これは現在のわれわれの耳にも新鮮に響くではないか。同公会議は、そのためにまず教会とは何なのか、その本質をその源泉に戻って問うた。 その源泉とは教会の創始者イエス・キリストであり、その心にあったものを証しする聖書である。
Ecclesia semper reformandaってプロテスタントの原則と同じこと言ってるじゃない。

このように教会が自己を見直して、まとめたのが教会憲章である。この教会の内省を前提として、 教会がその外に向かって、現代の世界に何を、いかに行動すべきかをまとめたのが現代世界憲章である。 ここに示された教会の行動原理は世界各地で実行に移されたが、目標としたものからはほど遠い。 それに当時予測できなかった新しい諸問題が世界のいたるところで起こり、 これとの取り組みが新たな課題となっている。遺伝子操作、臓器移植、 人口の移動と諸民族、諸宗教の共存、兵器と通信手段の革新、 いわゆるグローバル化に伴う経済的、社会的悪弊、それに環境破壊と問題は多様化し、深刻化している。 同公会議は、教会の自己反省と行動のすべてが聖書に基づいているので、あらためてその聖書とは何なのかを問うた。 その聖書は広く神の啓示の中に位置づけられるので、この啓示とは何なのかをあらためて問い直し、 こうしてまとめられたのが啓示憲章である。
どこまでプロテスタントの神学的取り組みと並行しているのか、注意深く見る必要はあるが、もし誰が書いた文書か言わずに読まされたら、殆んどプロテスタントでも違和感なく受け入れられるものではないだろうか・・・。

もちろんプロテスタントの聖書観の方が、「聖書主義(ビブリシズム)」に傾く傾向はある。
聖書解釈の実践においても「理性」や「教理的伝統(信仰告白文書)」の影響に対して概して無自覚である・・・と言えるだろう。

そういう点は留保しても、これだけ「聖書」を教会の自己把握と実践の中心に据える「取り戻し」は画期的との印象を覚える。

(※[続]ウサギの日記、と言うカトリックの谷口神父と言う方が「急速にプロテスタント化するカトリック教会」を1~5で連載記事を書いておられる。筆者が注目した「聖書」を回復する動きとは別な視点からのカトリック教会の「プロテスタント化」を書いておられる。筆者の連載とは直接繋がらないが、合わせて読んでも「現在のカトリック教会の置かれた歴史的位置」を知るのに参考になるかもしれない。)