2021年1月22日金曜日

(説教)「一から出直す」序・信仰と弱さ・病気

 序・信仰と弱さ・病気

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119:71、新改訳)

It was good for me to be afflicted so that I might learn your decrees. (NIV)

 2009年3月に入って体の変調を覚えるようになりました。30日に医者に行って諸検査を受けましたが、「身体生理学上特段の異常はない」。簡単に言えば「心身のバランスを崩した」ことによる神経症的な変調(特に胃腸)、と言うことになりました。こんなこと、私の人生にとって全く初めてと言っていいことでした。数週間、当惑し、心配を重ね、食が細り、突然来る不安に戸惑い、…そんな日々が続きました。

 4月も下旬、心療内科受診に向かわせることがあり、ようやく「心因的」な方から治療をする、これも全く初めての体験をしました。『春の病(?)』受診者で混み合うクリニックでしたが、幸運にも無予約、「駆け込み」で受診できました。処方された薬が合ったのかその後生理的な変調の方も減少し、食べられるようになり、対ストレス力も向上してきました。
 症状の改善は医療的なものだけでなく、一切の仕事から解放され休養に専念することができるようにとの周囲の人たちの配慮も大きかったようです。

 今回、自分がこのような弱さを抱えることによって、様々な人から色々な形で励ましを頂き、牧師と言う職業的立場ではなかなか得られない経験をすることができました。(牧師は他の人のケアーをする方にばかり注意が行って、自分がケアーされる立場の人間でもあることを忘れがちです。)

 回復が実感できるようになった頃から、「この度の病気は学びのための本当に良い機会となった」、今回の病気の経験を通して「一から出直しだ」との思いを深くしました。

 健康管理の甘さ、運動不足を反省するとともに、自身の信仰の底の浅さも反省しました。一生懸命祈ったり、聖書に励ましの言葉を探したりと言ったような〝信仰〟のことではなく、「ただ神の前に静まる」ことが普段からどれほどできているか、そのような姿勢ができていなかったことを反省させられました。

 「一から出直す」、これはたまたま病気と言う弱さを抱えた私個人に当てはまることだけでなく、戦後右肩上がりに“成長”し、その後停滞・衰退してきている日本の(福音派)教会にも必要であることを感じています。
 今日本の(福音派)教会に問われている問題の根本は何か。『教会の本質を究める』ことでこの問いに対するささやかな処方箋を探って行きたいと思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿